ヤクルト・五十嵐 さらば剛腕 希代のリリーバー引退試合 涙なく、最後まで笑顔貫いた

[ 2020年10月26日 05:30 ]

セ・リーグ   ヤクルト1-5中日 ( 2020年10月25日    神宮 )

<ヤ・中>ライトスタンドのフェンスに上ってファンの声援に応える五十嵐(撮影・篠原岳夫)
Photo By スポニチ

 マイクを手にヤクルト・五十嵐がファンに呼び掛けた。「最後にお願いがあります。お立ちいただいてもよろしいでしょうか?」。涙を流す選手も多い引退セレモニーでは珍しい展開に神宮が沸く。

 「僕の願いに応えてくれるなら、今年一番の拍手を選手、チームに送ってください。ヤクルトがファンの皆さんとともに戦い、喜びを分かち合える景色をずっと見ていたい」

 万雷の拍手を呼び、満面の笑みでグラウンド中央から見つめた。目を赤く腫らしても、涙は流さない。場内一周では右翼フェンスによじ登った。2001年に日本一になった際の古田敦也、13年の引退試合で宮本慎也が行った伝説のパフォーマンス。「あそこから景色を2人が見ている、僕も見たい」。拍手に手を振って応えた。

 魂のこもった一球を投げた。0―4の8回に出番は来た。打席には12年にブルージェイズのマイナーで同僚だったシエラ。初球、143キロの直球で三ゴロに仕留めた。「自分らしいボールを投げようと思った」。全盛期の球速は出ない。それでも04年に当時国内最速タイの158キロを計測した剛腕らしく、最後も直球にこだわった。

 直球が通じなかった相手もいた。巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜だ。「絶対に真っすぐで三振を取りたいと思って投げたボールが、物凄い勢いではじき返された。凄い印象深い。勝負を楽しませていただいた」。02年10月10日。150キロを投げ込み、日本最後となった50号を打たれた。プロの厳しさを思い知らされ、いい思い出にもなった。

 胴上げは5回。子供たちから花束をもらい、妻には「23年間、家庭を守り続けてくれて感謝しています」と言った。「たくさんのファンの方に来ていただいた。最後の一球だったんですけど、その気持ちを伝えたいなと」。全906試合全てが救援登板。最後まで五十嵐らしく、すがすがしい表情のまま23年間の現役生活に別れを告げた。(川手 達矢)

続きを表示

この記事のフォト

2020年10月26日のニュース