マイアミの“近未来”がわからなかった80年代 予想もしなかったWBC決勝の夢物語

[ 2023年3月22日 13:23 ]

優勝が決まって歓喜する日本代表(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】ホームレスとおぼしき男性が入店してきた。そこはフロリダ州マイアミ市内のハンバーガー・ショップ。彼はコーヒーだけを買い求め、砂糖を手にいっぱい持って店を出た。するとホームレス仲間が駆け寄り、その砂糖をもらっている。コーヒー1杯分のお金で数人の栄養が満たされるさまを、私は店内の座席からぼう然と眺めていた。

 1989年11月。私が泊まった小さなホテルの目の前は中堅規模の病院。11月だったにもかかわらず生暖かい風が吹き、その風に乗って、病院から漏れてきたと思われる薬品臭が部屋に中に入り込んできた。マイアミ大フロリダのフットボールチームに所属していたQBにインタビューしようとキャンパスに到着したまではよかったが、その選手のマナーは日本人的には嫌悪感を誘うもので、ハンバーガーを食べながら私の質問に答えるその姿には我慢がならなかった。

 計4回立ち寄ったマイアミにはいい思い出がない。タクシーに乗ったがドライバーはキューバ出身。私より英語が下手な人間はいないと思っていたが現実は違っていた。「オレンジボウルまで行ってくれ」と伝えたが「オレンジが欲しいのかい?」と最後まで意思の疎通はうまくいかなった。

 1995年1月はスーパーボウル取材のためマイアミ入り。しかし本番の12日前に阪神大震災が発生しており、私はマイアミでは数少ない日本人でもあったために、現地の記者からフットボールではなく地震についての意見を何度も求められた。

 NFLスーパーボウルが5回開催されている「オレンジボウル」はフルーツではなくフットボールのスタジアム。1937年12月に開場し、全米大学フットボールのボウルゲームも数多く開催された。1986年まではNFLドルフィンズの本拠地。マイアミ大フロリダの試合会場としても使用された。日本にとってその名が知れ渡ったのは1996年のアトランタ五輪。サッカー予選リーグの会場として使用され、日本がブラジルに勝ったいわゆる「マイアミの奇跡」の舞台にもなった。

 しかし老朽化で2008年5月に解体。そして跡地に建設されたのが現在のローンデポ・パークだった。2012年からMLBマーリンズが本拠地として使用。多くの人が歓喜する場面を経験しているとは思うが、スコールに見舞われたマイアミ大フロリダの試合当日、カメラマンとしてフィールドにいたためにずぶ濡れとなった私としては、何一ついい思い出のないピンポイントの場所だった。

 2023年3月21日。ローンデポ・パークで開催されたWBC決勝で日本が優勝。準決勝のメキシコ戦を逆転サヨナラで勝ち上がり、決勝では米国を破り、しかも大谷翔平(28)がエンゼルスのチームメート、マイク・トラウト(31)を最後の打者として三振に仕留めて試合を終えるという劇的なエンディングだった。

 今から30年以上前、日本全体を沸かせるエキサイティングな出来事がマイアミでの“近未来”に起こるとは思ってもみなかった。オセロの最後でたった1枚の石がすべての黒を白にしたような気分になった。最後の場面で現地の実況アナウンサーは「オオタニがトラウトを打ち取って世界トップの座に再び立った。信じられないような場面だ」と絶叫。ユニフォームを土で汚している投手がマウンドに上がること自体がプロの世界ではレアケースだったが、そこに本来はチームメート同士の2人が対決するという図式も加わって、スポーツ専門局のESPNは「ドリームマッチが起こってしまった。しかも1点差の9回2死…」とその劇的な度合いを強調していた。

 米FOXスポーツは「米国にとってはタフな敗戦。しかし彼らはまた戻ってくるだろう」と決して地元で敗れた米国代表を批判していない。それは日本が本当に頑張って戦い抜いたことがわかっているからこそ、敗者となっても恥じることはないという思いやりが見え隠れしていたように思う。

 「これは我々が夢見ていた刺激的なエンディング」「WBCでショーヘイ以上にハードにボールを打ち返し、ハードにボールを投げた選手はいない」「パーフェクトな7戦全勝」。SNSには米国サイドからも多くのコメントが寄せられていた。ある意味、国境を越えた賛辞でもある。

 マイアミとはそんな場所だったのか…。「そのミルクと砂糖、使わなければ持っていっていいか?」とハンバーガー・ショップのテーブルでホームレスの男性に懇願された私としては、隔世の感を禁じ得ないそんな夢のような1日。多くの人の心を揺さぶった見事な決勝戦だった。
 
 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった20238年の東京マラソンは5時間35分で完走。

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