甲子園中止でも 伝統つなぐ3年生、部員支えるマネジャー…経験が大きな意味になる代替大会

[ 2020年7月26日 16:15 ]

<富士河口湖―市川・峡南・増穂商・青洲(連合)>守備につく峡南唯一の部員、滝沢
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 甲子園の中止が決まり、各地で広がった地方大会の代替大会の開催。すでに秋田では決勝が行われるなど、感染防止対策を徹底しながら大会が開かれている。

 開催してもしなくても、どちらにせよ世間の批判や風当たりは予想された。しかし、試合を終えた球児たちのすがすがしい顔や涙、保護者や関係者から「大会があって良かった」という声を聞くと、高校野球に携わる人々は夏を終えて初めて気持ちに区切りがつけられると実感する。

 甲子園という目標を失い、モヤモヤした気持ちを抱えている選手も多いだろう。彼らは何を目指すのか。目標はきっと千差万別だ。だが、目標に向けて努力し、克服したプロセスこそ先々の人生につながると感じた。

 印象的なシーンがあった。

 峡南(山梨)の滝沢翔哉(3年)は、たった1人で70年以上続いた野球部の伝統をつないだ。

 72年夏、83年春と甲子園出場経験もある古豪だが、昨夏で3年生が引退すると、部員は滝沢1人に。2年生部員がいないため、22年春の市川・増穂商との完全統合を前に廃部の方向だ。

 滝沢はコロナ禍でも顧問らとできる練習を地道に続け、最後の夏は連合で出場がかなった。「みんなと普段の何気ない会話が凄く楽しかった」。逆転負けを喫した試合後「違うチームなのに後輩が自分のために泣いてくれた」と言うと、もう涙が止まらない。「一緒に野球をしてくれた仲間、顧問の先生や保護者に感謝したい」

 この先の人生で、家族ではない他人を思い合って涙することが何回あるだろう。

 また、都田園調布(東東京)では3年生唯一の部員であるマネジャーの大坂香佳さんが奮闘した。コロナ禍に加え、人数が少なかったり、環境が整わなかったり…様々なハードルを越えて、夏にたどりついた。

 こうした経験ができた生徒が1人でもいたならば、そして彼らを支えた人たちがその姿を目にしたならば、代替大会の開催は十分意味があると思う。

 無観客の静寂の中、1人1人の思いが詰まった特別な夏が進んでいく。(記者コラム・松井 いつき)

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