【悼む】尾藤さんの遺言を果たした「タケちゃん」 急逝の日本高野連・竹中事務局長

[ 2019年10月17日 08:30 ]

1980年、桐蔭高軟式野球部監督時代の竹中雅彦さん(右端)=桐蔭高卒業アルバムから=
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 桐蔭(和歌山)野球部3年になった1980(昭和55)年春、赴任してきた若い社会科教師が竹中先生だった。同じグラウンドの隅で軟式野球部監督として指導していた。声が大きく、冗談を連発していた。話の分かる先生で通っていた。生徒の話によく耳を傾け、われら硬式の部員も練習後、先生の自宅に上がり込んで、ごちそうになっていた。

 新宮や星林で野球部長を務め、和歌山県高野連理事長に就いたのはその人柄、人徳だろう。誰にでも明るく声をかけ真剣に話を聞いて回った。前向きで柔らかだった。

 そんな姿に元箕島監督・尾藤公さんが2010年夏、紀三井寺球場での和歌山大会決勝の5回終了時「頼むよ」と声をかけた。「高野連を助けてくれ。あんたしかおらん」涙を浮かべながらの要請に教職を辞す決意をした。翌年3月に尾藤さんが永眠した後の4月、日本高野連に入局、参事となった。事務局長就任後は目の回る忙しさだった。

 名前から「タケちゃん」、時にテレビ番組でスーパーマンをもじったキャラクター「タケちゃんマン」とも呼ばれるように、何でもやった。地方との意思疎通を重んじ、話を聞いて回った。

 尾藤さんの遺言は果たしたと言えるだろう。ともに酒好き、たばこ好きだった。今ごろは再会を喜んでいるに違いない。(編集委員・内田 雅也)

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