C―C―Bドラム笠浩二さん死去 60歳脳梗塞 糖尿病療養で入院 還暦記念ライブ予定もかなわず…

[ 2022年12月19日 04:51 ]

C-C-Bのサヨナラ公演で演奏する笠浩二さん(1989年4月)
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 「Romanticが止まらない」などのヒット曲で知られるバンド「C―C―B」のドラムとボーカルを担当した笠浩二(りゅう・こうじ)さんが14日午後6時23分、脳梗塞のため熊本県内の病院で死去した。60歳。福岡県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 所属事務所などによると、笠さんは熊本県南阿蘇村の自宅で母親と暮らしており、最近は体調不良で移動の際にはつえや車椅子を使っていた。7月末から持病の糖尿病の療養のため入院。その後脳梗塞で一時意識不明となり、回復したものの寝たきりの状態が続いていた。16日に通夜、17日に葬儀・告別式が営まれ、棺の中には愛用のドラムスティックやトレードマークの眼鏡が納められた。

 最後の音楽活動は7月。都内で行われたC―C―Bのバンドリーダーだった渡辺英樹さん(15年死去、享年55)の命日恒例ライブへの出演だった。事務所関係者は「来年2月ぐらいまでにお別れの会を開きたい」としている。

 1982年にバンド「Coconut Boys」を結成し、83年のシングル「Candy」でデビュー。85年に「C―C―B」と改名し、同年のTBSドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌に起用された「Romanticが止まらない」(作詞松本隆、作曲筒美京平)が大ヒット。同年のNHK紅白歌合戦に出場した。

 電子ドラムをステージ中央に置き、ヘッドセットを着けた笠さんが、ドラムを叩きながらリードボーカルを務める斬新なスタイルで人気に。笠さんは突き抜けるようなハイトーンボイスとピンクに染めた髪、眼鏡がトレードマークだった。眼鏡はレンズがないだて眼鏡で、元々は目の下にクマができやすかったことからかけ始めた。

 89年のバンド解散後、ソロ活動を開始。99年に実家のある熊本に移住し、音楽活動の際に上京する生活を続けた。今年6月にNHK・BSプレミアムなどで放送された「歌える!J―POP 黄金のヒットパレード決定版!」が最後のテレビ出演となった。

 11月に還暦を迎えたばかりだった笠さん。9~11月に還暦記念ライブなどを予定していたが、体調がすぐれず開催を見合わせていた。

 ≪89年解散、08年に再結成≫C―C―Bは1980年代半ば、チェッカーズなどとともにアイドルバンドとして音楽界を盛り上げた。最大のヒット曲「Romanticが止まらない」は約80万枚のセールスを記録。「スクール・ガール」「Lucky Chanceをもう一度」「空想kiss」などが立て続けにヒットし、シングル、アルバムなど約103億円を売り上げた。結成から解散までの7年間で3~5人編成と形を変え「Romanticが止まらない」時は5人組、解散時は4人組だった。

 08年、笠さんら元メンバー3人で再結成。15年6月に、笠さんと一緒に結成時から一貫して在籍したベーシストの渡辺さんが大動脈解離で入院し、同月に予定されていた復活ツアーが中止に。その翌月に55歳で早世した。命日に合わせて元メンバーらが集まるライブが恒例だった。

 ≪糖尿病から動脈硬化進行≫糖尿病は血液中のブドウ糖の濃度が高くなってしまう病気で初期には症状がほとんどないが、血管や血液の状態が悪くなることでさまざまな合併症を引き起こす。血液中のブドウ糖は血管を破壊して動脈硬化を進行させる。特に脳や心臓の血管は影響が受けやすく、脳梗塞のリスクも高まるとされている。医療関係者は「糖尿病による脳梗塞は若年層でも普通に起こりうることで、生活習慣に注意を払うことが必要」と話した。

 笠 浩二(りゅう・こうじ)1962年(昭37)11月8日生まれ、福岡県出身。「C―C―B」解散後の89年からソロ活動。コンピューター関係の講師なども行った。アサヒ「WONDA」、サントリー「BOSS」などのCMやバラエティー番組にも数多く出演した。99年に南阿蘇村へ移住後、地元局の情報番組でコメンテーターも務めた。

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