菊水丸店主 珍宝堂

河内家菊水丸 光陰矢の如し…元大関霧島の陸奥親方との34年を回想 スポニチ連載初回記事の珍宝も

[ 2024年3月6日 11:00 ]

初めて担当したスポニチでの連載がこれ!

 【菊水丸店主 珍宝堂】4月3日で65歳を迎える元大関霧島の陸奥親方。日本相撲協会を定年となり、再雇用で協会に残りますが、陸奥部屋は閉鎖。このニュースを耳にして、なんだか時の流れを感じた次第です。
 
 私のスポーツニッポンでの連載の始まりは、1990年(平2)の春場所、初日から千秋楽まで、升席正面一の三での観戦記「河内家菊水丸ののど輪攻め」=写真(1)。話題の中心は、関脇霧島の大関獲り。場所前、連載の準備として、大阪市天王寺区下寺町の井筒部屋の宿舎宗慶寺へも取材に伺いました=同(2)。

 時あたかもバブルの絶頂期。なれど、メールやLINEは影も形もなく、ファクスがそろそろ普及し始めた頃。私が陣取る升席には黒電話が設置されていて、結びの一番が終わると同時に「もしもし」と電話をかけて原稿を読みあげたのです。懐かしい…。この電話、内緒で私用にも使ってましたなぁ(笑い)。

 とにかく、盛り上がった場所。十両の華が若貴兄弟。横綱千代の富士は通算1000勝達成。そして、横綱北勝海の優勝に最後まで絡んだ関脇霧島が、見事に大関昇進を果たして幕を降ろしたのです。

 スクラップブックを広げますと、若き時代の陸奥親方の顔=同(3)。間もなく定年。27歳だった私も61歳。まさに、光陰矢の如しであります。 (河内家菊水丸)

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