【内田雅也の追球】赤い入道雲と童心――苦しい時の阪神に向けて

[ 2019年7月25日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神1―3DeNA ( 2019年7月24日    甲子園 )

甲子園球場左翼席後方に見える入道雲。夕焼けで少し赤みがかっていた
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 プレーボールから3回ぐらいまで甲子園球場には明るさが残っていた。左翼席後方には入道雲が見えていた。

 雲は夕焼けで少し赤みがかっていた。明日も晴れるだろう。甲子園にあの雲が見えれば梅雨明けである。

 本格的な夏が来る。本来、野球は夏のスポーツだ。アメリカでは大リーガーのことを「ボーイズ・オブ・サマー」(夏の少年たち)と呼ぶ。夏の日、少年のように、はつらつと動き回るのが野球選手のあり方だろう。

 20世紀のはじめ、本塁打を連発したジョージ・ハーマン・ルースが「ベーブ」(赤ちゃん)と愛称がついたのは憧れでもあったのだ。

 戦後の荒廃時期、「青バット」で虹のような本塁打を連発した大下弘は日記『球道徒然草』に「童心」と題した一文を残している。<あえてわたしは童心の世界に飛び込んでゆく。子どもの世界に立ち入って、自分も童心に帰り、夢の続きを見たい>。

 貧攻で敗れた阪神に望まれるのはこの童心ではないだろうか。

 攻撃面では6回までに喫した3併殺が痛かった。原口文仁は2回無死一塁で三ゴロ併殺打。4回1死一塁ではフルカウントでのランエンドヒットで空振り三振し、走者は二塁で憤死した。

 ブレーキ役となった原口は「野球ができる喜び」を最も知る男でもある。大腸がんから復活を果たした。プレーできる純粋な喜びを見せられれば、それが強みとなる。

 むろん、原口だけではない。沈滞ムードが続くなか、野球小僧(こぞう)だったころを思い返したい。毎日夕暮れまで白球を追ったころを思い返すことだ。

 ただし、同じ少年の心でも、稚心(ちしん)と勘違いしてはならない。幼稚な心、簡単に言えば甘ったれである。責任感のない、自分勝手な心である。

 監督・矢野燿大が「楽しむ」と繰り返している。あれは童心を勧める一方で、稚心を去れを言っているのではないか。矢野が敗戦後の会見で漏らした「ウチの甘さ」とは稚心かもしれない。

 むろん、勝負の世界は辛く、苦しい。だが「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」とフランスの哲学者アランの言葉にある。

 妻を亡くし、沈み込んでいた作家・眉村卓が毎日新聞の『新幸福論』(2009年10月16日夕刊)で「気力が体裁をつくるのではなく、体裁が気力をつくることもある」と語っていた。

 辛いが、まずは上を向く。笑ってみる。身なりを整える。そうすれば楽しくもなり、気力も湧いてくる。そのうえで、童心を取り戻したい。=敬称略=(編集委員)

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