芥川賞作家・西村賢太さん一周忌法要営まれる 友人・玉袋筋太郎「ゲラゲラ笑って最高の法要になった」

[ 2023年1月29日 14:48 ]

芥川賞作家、西村賢太さんの一周忌の法要に出席した玉袋筋太郎
Photo By 提供写真

 昨年2月5日に心疾患のため54歳で亡くなった芥川賞作家、西村賢太さんの一周忌の法要が29日、墓がある石川県七尾市の西光寺で営まれた。親交が深かったタレント、玉袋筋太郎(55)、出版関係者らが出席した。西村さんは東京都出身だが、心酔していた大正期の作家、藤沢清造の菩提(ぼだい)寺である西光寺に足しげく通い、20年ほど前に藤沢の墓の隣に自らの生前墓を建てていた。この日は雪が積もる中、花やたばこ、酒が供えられた。

 玉袋は法要終了後にスポニチアネックスの取材に応じ「あっという間の1年でした。きょうは“西村賢太被害者の会”が約20人集まって、最後は思い出話でみんなでゲラゲラ笑って、最高の法要になった」と語った。同い年で10年来の友人。「どこの媒体にも言えないような話を2人でしながら酒を飲んで、時には取っ組み合いのけんかをして、一緒に飲んでいた時は肝臓の数値が悪くなったけど、もうノーサイド。(西村さんは)“おれは50代で死ぬから”と言っていて有言実行してしまった。極太の人生だった」と振り返り、この日は墓前に「人生という娑婆(しゃば)に生まれた終身刑からうまく脱出したな…と声を掛けた」と明かした。

 西村さんは中学卒業後、肉体労働などのアルバイトをしながら小説を執筆し、2004年から文芸誌に小説を発表。07年に「暗渠(あんきょ)の宿」で野間文芸新人賞を受賞。11年には日雇い仕事で生計を立て、暴力的な言動を抑えられない若者の生きざまを描いた「苦役列車」で芥川賞を受賞した。記者会見では、決定の知らせを受けた時の状況を聞かれ「自宅で(待っていた)。そろそろ風俗に行こうかなと。行かなくて良かったです」と型破りな受け答えをして会場が大爆笑。同作はベストセラーになった。その後も破滅型の私小説の書き手として人気を誇った。藤沢清造については「僕よりダメな人がいて、それで救われた」と話し「没後弟子」を自称、小説集出版にも尽力していた。昨年2月4日、タクシー乗車中に意識を失い病院に搬送され、5日午前6時32分、東京都北区の病院で急死。早すぎる死に惜しむ声がさまざまな分野から上がっていた。

続きを表示

この記事のフォト

2023年1月29日のニュース