【令和新時代 夏のメモリー】「歴史に残る」新元号夏1号&初勝利&初完封

[ 2019年8月7日 08:20 ]

第101回全国高校野球選手権大会

<近大福山・佐野日大>9回無死、麦倉が大会1号の決勝アーチを放つ
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 令和初の甲子園が幕を開けた。平成から令和へ、新たな時代を迎えた甲子園。その“熱い夏”をつづる「令和新時代 夏のメモリー」を決勝まで連載する。

 ◆平成元年 佐野日大・麦倉洋一

 あの日から30年の月日が流れた。平成から令和へ。かつて新時代の幕を開けた元球児の言葉には、熱い思いが込められていた。

 「本当に、おめでとう。今までやってきたことは間違っていなかった」――。令和1号を放った下山へ、長い時を経てそうメッセージを送ったのは佐野日大・麦倉洋一監督だ。

 平成元年の夏の甲子園。この日と同じ開幕戦だった。近大福山(広島)相手に0―0の9回、当時エースで5番の麦倉監督が放った一打は左翼へ伸びていった。「感触はなかったんですよ。完璧なホームランは手元に感触が残らない。振ったら飛んでいった、という感じでした」。遠い記憶をたどりながら振り返った。この一発で1―0の完封勝利。平成初勝利も、平成初完封も麦倉監督だった。

 「たまたま平成初めての夏で。いい時に出場させてもらった。そういう巡り合わせはありがたいこと。歴史に残るし、今でも話を聞かれますから」。初出場でバタバタと大阪入りし、組み合わせ抽選で引き当てたのが開幕戦。「何も考える余裕もなく試合だった」。それも今はいい思い出だ。

 平成1号から30年がたち、母校を率いている麦倉監督。今は甲子園での「令和1勝」を目指している。(秋村 誠人)

 ◇麦倉 洋一(むぎくら・よういち)1971年(昭46)7月29日生まれ、栃木県出身の48歳。中学時代にテレビ番組「ビートたけしのスポーツ大将」でたけし軍団相手に好投。佐野日大3年夏にエースとして栃木大会無失点で甲子園に初出場した。89年ドラフト3位で阪神入団。94年に現役引退し、スポーツ用品メーカー勤務などを経て17年4月から母校・佐野日大の監督に就任した。

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