元フジ田中大貴アナ 超多忙時に転勤を希望した場所とは?「リセットしなければモチベーションが」

[ 2022年10月21日 11:57 ]

元フジテレビの田中大貴氏
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 元フジテレビでフリーアナウンサーの田中大貴(42)が、20日放送の日本テレビ系「ダウンタウンDX」(木曜後10・00)にゲスト出演し、上司だった牧原俊幸アナへ、ある直訴をした過去を告白した。

 慶大時代は野球部でも活躍したこともあり、野球やスポーツに造詣が深い田中アナだが、18年に退社。フリーアナとして活動しているほか、スポーツマネジメント会社も立ち上げた。

 退社に際しては「迷いはありました」という。古巣への恩が理由で、「いろんな方に育てていただいて、もともとアナウンサーになれるか分からない中で、キャスターまで育てていただいたので、スポーツキャスターをやったり、オリンピックキャスターをやったり、日本シリーズの実況をさせてもらったり」と感謝を口にした。

 一時は超多忙な日々だったという。朝8時からの情報番組「とくダネ!」のために4時起き。さらに深夜のスポーツ番組「すぽると!」や、スポーツの実況も担当していた。「だいたい(とくダネ!を)金曜日までやって、金曜日のお昼に寝て、その後野球中継(の現場)に行って、夜は『すぽると!』という番組でキャスターをやって」。深夜1時半から4時まで仮眠、その後「とくダネ!」のため準備をする生活が約10年続いたという。

 野球と関わる夢は実現できていたものの、「30半ばになって、これはリセットしなければモチベーションがもたない」と決意。当時上司だった牧原アナに、転勤を志願したという。「ニューヨーク支局が当時ありまして、松井秀喜さんを取材したり、スーパーボウルの現場に行ったらリセットできるんじゃないかと思って、“明日にでもニューヨーク支局に行かせてください”と。お願い書をずっと出していたのが牧原さんだったんです」と明かした。

 しかし当時の田中アナは、情報番組にスポーツにと万能ぶりを発揮しており、アナウンス部としても手放せない人材だったという。牧原アナは「情報とスポーツと両方から必要とされていた。そんな人間をニューヨークには出せなかったわけですよね。本人も分かっていたと思うんですけど、現場から必要とされていた」と説明。田中アナの思いを実現させることができなかったことを明かした。

 まだ「働き方改革」などという言葉もなかった時代。田中アナの想像を絶する激務に、牧原アナは「さっきの勤務を聞いたら、今じゃ考えられない勤務ですね」とあらためて驚きを口にしていた。

 浜田雅功から「ニューヨークに行っていたら、辞めてない?」と問われた田中アナは、「この番組に出させてもらっていない可能性はあると思います」と返答。その言葉を聞いた牧原アナは「それは申し訳なかった」と深々と頭を下げ、笑いが起きていた。

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2022年10月21日のニュース