【内田雅也の追球】それも野球 あの1973年の悪夢の日 失策から失点、無援護の阪神・藤浪

[ 2020年8月6日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神1-4巨人 ( 2020年8月5日    甲子園 )

池田の転倒で9回2死からの逆転負けを伝える1973年8月6日付の本紙1面
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 予想もしない、とんでもないことが起きる。それが野球である。

 0―1の阪神6回表の守り。巨人先頭は投手の戸郷翔征で打ち気はなく1死は確実という雰囲気だった。恐らく巨人ベンチの指示もあったろう。最初は打席の最も遠い所に立っていた。

 2球目からはやや本塁に寄った。3球目、バットを振ると打球は高~く跳ねた。急いだ藤浪晋太郎はハーフバウンドを捕り損ねた。記録は失策だが、難しい打球だった。

 この投手に対する予想外の出塁が痛かった。上位に返った巨人打線に2死から岡本和真、大城卓三と長短打され3点を失った。失策がなければ3死で無失点だった。だからこの回自責点はない。

 47年前のこの日、1973(昭和48)年8月5日も、同じ甲子園での巨人戦で、予想もしない、とんでもないプレーで敗れている。

 2―1の9回表2死一、三塁。勝利まで「あと1人」でマウンドにはエース江夏豊がいた。打者・黒江透修の一打は中堅へライナー性飛球となった。

 中堅手・池田純一は少し前進して後退。捕球体勢に入ろうとした時、仰向(あおむ)けに転倒した。ボールはグラブに触れずフェンスまで転々。2者が生還する逆転決勝三塁打となった。悪夢のような敗戦だった。

 「長い間野球を見てきたが、あんなプレーは初めて」と監督・金田正泰が吐き捨てるように言った。この年は勝った方が優勝、双方最終戦という巨人との決戦に敗れたため、後になってファンが騒ぎ出した。「世紀の落球」と呼ばれた。ただし、実際は落球でなく転倒で記録も三塁打。池田は「2歩目で芝に引っかかった」のだ。

 「江夏に申し訳ない」と池田は心が痛んだ。ただ<チームメートからなにか嫌みを言われたことはない>と後藤正治『牙――江夏豊とその時代』(講談社文庫)にある。

 <しかし、ファンの目から見れば、それは池田の落球だった>と、当時雑誌記者として取材していた山際淳司が『最後の夏 一九七三年巨人・阪神戦放浪記』(マガジンハウス)で書いている。

 だが、池田は奮起していた。先の後藤は<凡プレーは好プレーで返す。それが野球だ>と書いている。池田はこの後、8月25日広島戦、9月9日ヤクルト戦で何と2本のサヨナラ本塁打を放った。投げていたのは、いずれも江夏だった。山際も<それが野球というものだ>と書いた。<一振りのバットスイングが勝利に結びつくこともあれば、雨に流された芝がなんでもないプレーを邪魔することもある>。

 この夜の藤浪は好投だった。だが味方打線はゼロ行進だった。前回登板の7月30日ヤクルト戦に続き、1点の援護もなかった。藤浪が投げた今季3試合、登板21イニング中の得点はわずか2点と、とにかく援護点がない。

 江夏はあの池田転倒の敗戦後「腐らへんし怒らへん」と言い「これが野球や」と語っている。不運を嘆かず、あきらめなければ、幸運も訪れるということだろう。むろん池田の奮起もある。

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘った博士、スティーヴン・ホーキングが人生について問われ、次のように語っている。「まず、星を見上げて、自分の足を見ないようにすること。次に仕事をあきらめないこと」

 下を向いてはいけない。靄(もや)がかかっていた甲子園球場だが、見上げた夜空には十六夜(いざよい)の月と星が輝いていた。人生に似る。それが野球である。=敬称略=(編集委員)

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