オリックス・塚原頌平 2年ぶりに動き出した復活への針

[ 2019年7月24日 13:45 ]

オリックス・塚原頌平
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 オリックスの次世代スターを発掘する当コラム。19回目は塚原頌平投手を取り上げる。

 7月18日、オリックスにとっては大きなトピックスがあった。ソフトバンク3軍との練習試合で、2年ぶりに実戦登板を果たしたのが塚原だ。右肘を痛め17年5月に登板して以来、止まっていた時計の針がようやく動き出した。

 「めっちゃ、疲れました。久しぶりの緊張感で。点は取られましたが、久々に楽しく投球できたと思います」

 次世代スターと言うには少々語弊がある。しかし、7月8日に27歳になった右腕の顔に若々しい笑みが広がった。1回を無安打ながら1失点。ただ、結果どうこうではない。マウンドに上がった事実が全てだ。「ファンの方からすると『あいつ、どこにおるんやろ』と思っていたんじゃないかな。マウンドに上がったとき、拍手をもらってうれしかった。この1試合はすごくデカいです」。投球練習もままならなかった昨年のシーズンオフに育成選手契約となり、背番号125となった。踏み出した一歩に大きな意味があった。

 普通のリハビリ過程なら、実戦登板の前に、シート打撃登板がある。しかし、そこにはある配慮があった。中嶋2軍監督やコーチ陣から、自軍選手に投げるシート打撃登板より、打者と勝負する実戦の方がより腕を振って投げることができ、塚原には合っていると判断された。塚原も、その配慮に感謝しつつ、自らもノルマを課した。「投げる日を決めていたのも、よかった。昔だったら、ちょっとしたことでも、最初からダメと思ってやめたかもしれない。折れそうなときに踏ん張れたのは、少し成長できたかなと思います」。投げるんだ、という強い意志が、リハビリの歩みを着実に進めた。

 密かにうれしかったことがあった。当日は3番手でマウンドに上がったが、その直前には岸田も復帰登板を果たした。「マモ(岸田護)さんの後に投げたのが、正直うれしかったんですよ」。岸田や海田ら、ともにリハビリをしてきた先輩には気にかけてもらった。「リハビリも一つうまくいくと一つダメで。肩がちょっと、という時期もあったし、難しかった。でも、先輩は黙々と踏ん張っている。みんなダレないで、チャンスを待つ人が多い。勉強になりました」。岸田の姿勢に学び、岸田と同じ日にマウンドに上がったことは、塚原には貴重な経験、財産になったと言えるだろう。

 酒井育成担当コーチは「145キロも出ていたし、思った以上に投げられていた。塚原は経験者だし、本人にとっても大きいことだが、チームにも大きいこと」と喜んだ。15年には41試合に登板して13ホールド。16年も54試合で4勝13ホールドと、救援陣にはなくてはならない存在だった。再び1軍のマウンドに帰ってくる日を、ファンも待っているに違いない。
(当コラムはスポニチホームページで不定期連載中)

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