たむらけんじ激白 レギュラー7本降板、50歳単身渡米を決断した理由「動かないと、もうアカン」

[ 2023年5月10日 05:30 ]

松本人志にもらったサングラスをかけアメリカに出発するたむらけんじ(撮影・望月 清香)
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 お笑い芸人のたむらけんじ(50)が9日、羽田空港から新天地の米ロサンゼルスに向けて出発した。今月4日に50歳を迎えたことを区切りに、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」など7本のレギュラー番組を降板して単身渡米。米国での新生活を前に、スポニチの直撃インタビューには「日本ではスターになり損ねたけど、将来的にアメリカでミシュランのスターを取ったら面白いですよね。なんかワクワクします」。アメリカンドリームを掲げつつ、人生の新たな第2章に踏み出したたむけんが、その思いを語ってくれた。

 ついに米国での生活が始まります。今回の決断は2019年にグランドキャニオンを見て「ボクはここに戻ってこないとアカン。ボクはここにおるべき人間や」と思ったのがきっかけ。スペイン、ドイツ、イタリア、オランダなどヨーロッパもいろんな国を訪問しました。全部素敵で「また行きたいな」とは思いましたけど、その感覚にはならなかった。今、ロスで生活している後輩のピース綾部(祐二)も同じ感覚だったみたいで本当に不思議です。

 コロナで3年間、考える時間があったことが大きい。お金を貯めて60歳になってから行くのと、50歳ではまったく違う。「動かないと、もうアカン」と思ったんです。米国行きを公表したのは21年12月ですが、テレビ局の方にもご理解をいただいて、行くことができる。不安もありますけど、ワクワクしている。旅行ではないのでワクワクしながら平常心みたいな独特の気分です。

 これからの拠点はハリウッドになります。アカデミー賞の授賞式で有名なドルビーシアター(旧称・コダックシアター)から車で15分ほどの位置に、去年の11月から2LDKの家を借りています。築60年で家賃35万円。この約半年、ほぼ空家賃で大変でしたわ。まずは現地で免許を取って車を買っていろんな場所に行きたい。あとはソーシャル・セキュリティー・ナンバーを取って生活して信用を作っていきたいですね。

 ビザに関してはエンタメ関連のものを取得しました。昨年Travis Japanが出演した野外音楽フェス「ライジング・ジャパン・ミュージック・フェス」の司会やラジオ局からのオファー、ラスベガスでのジャパンフェスなどの話が来ています。ボクの持っているビザでは、エンタメ関連の仕事しかできないので、マクドナルドでのアルバイトもダメ。まずは1年ぐらい語学の学校に通いながら、ブラブラして見聞を広めたい。グリーンカード(永住者カード)を取得できたら、もちろんいろんなことに挑戦したい。「スターになる!」のも夢の一つ。と言ってもミシュランの「星」を獲得するようなレストランのオーナーですかね(笑い)。そのうちロスじゃなくて、テキサスが良いと言い出すかもしれないし、将来的なことはすべてこれからです。

 芸歴31年。これまでテレビのロケにこだわって生きてきました。東京を諦めて大阪に戻ったのが2003年。NSC11期生で同期の陣内智則、ケンドーコバヤシ、中川家は、すでに売れていたんですが、彼らがもっと売れた時にロケを続けないだろうと思い、じゃあ、ボクは、そこにこだわって行こうと思ったのです。

 おかげさまで、カンテレ「よ~いドン!」の「いきなり!日帰りツアー」は502回オンエアされました。全然知らない、おばさまと一日旅をする。早朝から一緒に行ける人を探す訳ですけど、そんなん簡単に、出かける人はいませんよ。毎回「行く人がおらんかったら、どうしよう?」というプレッシャーはありました。結局、見つけられなかったのは9回。でも、本気でやってダメだったのが9回。この数字があるから番組も締まると思うんですよ。

 あとは20年前に関西で幅をきかせていた「乗り越えなければいけいないロケ芸人さん」をリストアップして目標にしていました(笑い)。そこは何とか、うまく乗り越えられた気がしてます。

 バラエティー番組のスタジオですごい芸人さんたちと対峙(たいじ)するのは相当な腕前がいりますけど、ロケは一般の方が対象ですし、それはそれで難しい。どこまで踏み込んでいいのか、失礼にならないようにしないといけない。でも、ギリギリまで行くことが面白いですからね。テクニックみたいなものはないですけど、瞬間、瞬間にその場の空気を読んで対応する。「探偵!ナイトスクープ」なんて、その最たるものです。視聴者からの依頼があって、それをどう料理するか。筋書きがあってないようなものなので。やりきるしかないですね。

 21年まで放送されたMBSの情報番組「ちちんぷいぷい」で15年間にわたって担当した高校を訪問する企画「たむらけんじの学校に行こッ!」も600校以上、ロケに行きました。「探偵」と「学校」と「日帰りツアー」だけで1300回以上はロケにしてます。“隣のお兄ちゃん”みたいなイメージでいてくれるのか、視聴者の方によくしてもらいました。SNSでボロカス言われるのも、そのイメージがあるからなんですかね。あれは、ほんまに腹立ちますけどね!

 後輩たちには、テレビを一緒に制作するスタッフを大切にしてほしい。ちゃんと向き合って、番組をよくするために意見を伝える。文句とは違いますよ。ボクらが制作の会議に入って意見を言うこともないですし、いつも現場勝負。打ち合わせもほとんどないから、スタッフとのコミュニケーション、そのメリハリが大事です。

 ボクとしては、こうやって米国に行ける環境であることがありがたい。「炭火焼肉たむら」の経営面は、高級食パンブームを作った「乃が美」の創業者である阪上雄司さんにサポートしてもらっています。

 50歳の誕生日会は、芸人仲間や知人ら90人が参加してお祝いしてくれました。ガンバレルーヤはボクと3人だけのラインを作って「たむらさんのおかげで今、私たちはいることができます」とか嬉しいことを言ってくれます。ほんまに、これまでやってきたことが間違いではなかったんかなと思います。

 2012年に淡路島でやったTKF大祭りに、明石家さんまさんやナインティナインさんが来てくれたことも本当に感謝しています。日本にはいい思い出しかありません。エージェント契約してくれている吉本興業にも向こうで何か貢献できることはないかと考えています。

 今まで相棒だった獅子舞とピンカールは置いていきますが、ダウンタウンの松本(人志)さんにプレゼントしてもらったトムフォードのサングラスをしてアメリカでは勝負したいと思います。関西空港まで間寛平師匠や後輩ら仲間が見送りにきてくれて嬉しくて涙が出ました。もうやるしかありません!

 それでは皆さん、アメリカンドリームをつかむまでたむらけんじ50歳、行って参ります!とりあえず少しの間、バイちゃ~!

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