ビビアン・スー 日本進出のきっかけは香港での1枚のポスター「1週間以内に東京へFLY!」

[ 2022年12月11日 22:47 ]

ビビアン・スー
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 台湾出身タレントのビビアン・スー(47)が、11日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」(日曜後10・00)にゲスト出演し、芸能活動を始めたきっかけや駆け出し時代について語った。

 日本で紹介された写真集やグラビアをきっかけに、日本で人気が爆発。同局系バラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」にレギュラー出演し、愛くるしい笑顔と透明感のあるキャラクターで親しまれた。03年に日本での芸能活動にひと区切りを付けていたが、今月3日に音楽番組「ベストアーティスト2022」に出演。NHK紅白歌合戦にも出場した音楽ユニット「ブラックビスケッツ」の20年ぶり復活ステージに立ち、話題になった。

 小学3年の時に両親が離婚。自身を含めた3人の子供を母が女で一つで育ててくれたという。「1人で3人の子供を育ててきた。すごく大変」。そんな時に知ったのが、台湾でのオーディションだった。「1位になったら(賞品が)バイク。I sold bike(バイクを売った)」。賞品を売って家計を支えたという。

 アイドルユニット「少女隊」として活動を始めたが、ヒットに恵まれず2年で解散。「家賃とか生活費とか払わなきゃいけないから、ドラマとか出てました。マネジャーに“何でもいいから仕事を下さい”って」。芝居のイロハも知らなかったが、生きるのに必死だった。「昔のドラマは見れないね。自分の演技がすごく怖くて。セリフを言ってただけ」と打ち明けた。

 そんなある日、香港で出演した映画のポスターが偶然、日本の所属事務所の社長の目に留まり、スカウトされたという。「私の映画のポスターを見て、(社長が)“この顔、日本でウケるよ?”。見て、台湾のマネジャーに連絡してきて。“日本で仕事したいですか?”、“したい!”」。とんとん拍子に話が進み、「1週間以内に東京へFLY!(飛んだ)」と、言葉も分からないまま来日したことを明かした。

 日本と韓国で歌手活動をしたが、鳴かず飛ばず。そんなある日、社長の大きな決断に乗ることに。「社長さんが“バラエティーやってみようかな?”って。ホントは私、歌が好きで、女優も試してみたいんですけど、全然うまくいってなくて。社長さんは私を連れて毎日、テレビ局を回ったりして、“お願いします。お願いします”って。やっと『ウリナリ』でレギュラーになりました」と振り返っていた。

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2022年12月11日のニュース