ドラフト“知得”情報 データで見る「運命の一日」

[ 2021年10月11日 16:00 ]

1965年、第1回ドラフト会議の風景
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 毎年、全国の野球ファンだけでなく“国民的行事”として注目を浴びるプロ野球ドラフト会議。今年も新型コロナウイルス感染防止の観点から昨年同様にオンライン形式で行われる。

 1965年から始まったドラフト会議。指名の悲喜こもごもだけでなく、「数字」も興味深い。「運命の一日」を過去のデータ、事象で振り返る。

【ドラフト会議】 第1回会議は1965年。66年は9月(第1次)と11月(第2次)の2度開かれた。91年にドラフト外入団を廃止。93年には有力選手(高校生をの除く)が球団を希望できる逆指名制度を1、2位で導入した。01年に自由獲得枠、05年に希望入団枠と変わったが、裏金問題により06年を最後に廃止された。05~07年は高校生、大学生・社会人ドラフトがそれぞれ開催された。

 ◆最多重複は? ドラフト抽選の最多重複は8球団で89年野茂英雄(新日鉄堺)と90年小池秀郎(亜大)。野茂は指名権獲得の近鉄入りも、小池はロッテ入りを拒否した。また、外れ1位の最多重複は16年佐々木千隼(桜美林大)の5球団。こちらもロッテが引き当てたが無事入団し救援で活躍中。

 ◆6球団以上の競合で唯一のセ球団交渉権は? 6球団以上が指名重複した選手は過去9人いる。そのうち8人はパ球団が交渉権を獲得しているが79年の岡田彰布(早大)は阪神が引き当てた。岡田は翌80年に新人王を獲得。ルーキーでの18本塁打は今季の佐藤輝に抜かれるまで田淵幸一22本に次ぐ球団2番目の記録だった。

 ◆最下位指名は? ドラフト会議史上最も低い順位で指名されたのが65年に広島の18位で指名された左腕・下村栄二(名古屋商大中退)。ドラフト会議とは別の日に行われた臨時選択会議で指名され入団した。1軍出場は3試合あるものの、すべて当て馬での出場で登板機会がないままユニホームを脱いだ。

 ◆最少指名人数は? 99年の中日は3人で指名を終了した。分離ドラフトを除けば84年西武に並ぶ最少人数。1位で河内貴哉(国学院久我山)、2位で田中賢介(東福岡)を指名したが抽選で外れ。最終的には1位朝倉健太(東邦)、2位福沢卓宏(滝川二)、3位山北茂利(トヨタ自動車)となった。

 ◆巨人の指名第1号選手は? 巨人のドラフト指名第1号は65年1位の堀内恒夫(甲府商)。66年4月14日の中日戦で球団高卒新人では初めてとなる初登板初先発初勝利。シーズン13連勝、7完封を記録するなど16勝2敗、防御率1・39で新人王を獲得した。高卒ルーキーの16勝は今もリーグ記録として残っている。

 ◆今季唯一のドラフト外監督は? 各球団監督のドラフト順位を見ると井口(ロ)、石井(楽)、原(巨)、与田(中)、佐々岡(広)の5監督が1位。辻(西)、矢野(神)両監督が2位、中嶋(オ)、高津(ヤ)両監督が3位、工藤(ソ)、三浦両監督(D)が6位で、栗山監督(日)は唯一のドラフト外。

 ◆わずか1度 過去15年のドラフトで最も抽選が少なかったのは09年。6球団(西、神、ヤ、楽、中、日)が重複した菊池雄星(花巻東)の1度しか行われず西武が引き当てた。一方、最も多かったのは、希望枠が廃止された07年で高校生ドラフト、大学・社会人ドラフトを合わせ9度も行われた。

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