「甲子園史上最高の守備の名手」が球界から姿を消したワケ 「送球が通用しないんじゃ…」

[ 2019年8月11日 20:37 ]

2008年8月18日、全国高校野球・決勝の大阪桐蔭戦でジャンピングスローを見せる常葉菊川・町田(左)
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 現在開催中の第101回全国高校野球選手権大会。その歴史の中でも史上最高の守備の名手と言われた人物が11日放送のTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後6・30)に出演した。

 常葉学園菊川(現常葉大菊川)OBの町田友潤さん(29)だ。1年秋からレギュラーとなり、「2番・二塁」として07年センバツでは静岡県に29年ぶりとなる紫紺の大優勝旗をもたらすなど、2年春から4季連続甲子園出場。甲子園で66度の打球を処理(触球113)を記録、球際の強さや守備範囲の広さはピカ一で、「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた。

 高校時代に対戦経験のある楽天の浅村は、「天才です。あんな選手見たことない。レベルが違う。本当にすごかった」と話し、さらに、昨年、ゴールデングラブ賞を初受賞した西武・源田も、「体のバランスもすごいし、高校生の段階であんなプレーができるのはヤバイ」と称えている。また、現役時代に守備の名手とされた宮本慎也氏、仁志敏久氏も同様に当時のプレーを絶賛した。

 町田さんは「自分の守備が試されている大会だと思った」と語り、将来はプロを目指していたと明かす。しかし、早大進学も1年で中退し、社会人野球のヤマハで4年間プレー。社会人では、難しい打球を完璧にさばいたはずが、肩の弱さからほとんどセーフになってしまう事態が起きた。「送球が通用しないんじゃ…」「自分の存在価値がなくなってきたのか」と悩み、そのうち守備にまで悪影響が出てしまったという。守備を絶賛した宮本氏も「なんで二塁なのかな。本当にうまかったらショートをやる。投げるのに自信がなかったのかな」と疑問の言葉を投げかけていた。

 現在は障がい児学童保育施設「放課後等デイサービス グリーピース」の代表を務める。きっかけは、日本一となって菊川市へ凱旋した直後、偶然出会った親子連れから記念写真を頼まれた。会話をした少年は障がいを持っていたが、町田のプレーに勇気づけられている、と聞かされたことだった。「いつか引退したら、この子たちに直接貢献できる仕事をしたい」と思い、現職に。「野球をやっていなかったら、この職には就いていなかった。野球と同じくらい夢中になっている」と笑顔で語った。

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