【令和新時代 夏のメモリー】あと一歩の栄冠へ…令和も大井総監督の夏は終わらない

[ 2019年8月11日 08:15 ]

第101回全国高校野球選手権大会 第5日1回戦   日本文理6―10関東第一 ( 2019年8月10日    甲子園 )

甲子園のスタンドで観戦するのは初めてという大井氏
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 令和に託した夢は終わらない。甲子園で初めてスタンドからの観戦。日本文理(新潟)の大井道夫総監督(77)は敗戦を見届け、熱い口調でこう言った。

 「甲子園で一つ勝つのは難しいんだ。でも、やっぱり優勝してもらいたいな。俺が生きている間に、深紅の大旗を持ってきてほしいよ」

 昭和に投手で、平成に監督でともに準優勝。日本一には、あと一歩届かなかった。でも、監督を退き、元号が変わっても夢は変わらない。

 大井総監督は宇都宮工のエースとして59年夏の甲子園に出場。一人で投げ抜き、決勝は延長15回の末に西条(愛媛)に敗れた。「あのときは投手は一人で投げるのが当たり前。でも、準決勝のときから(疲労で)何も食べられなくてね。ブドウ糖の注射と飲み物だけで投げていたよ」。気力を振り絞った決勝は延長15回で力尽きた。その50年後、今度は日本文理の監督として臨んだ09年夏の決勝。9回に5点を挙げる奇跡の猛反撃も及ばず、9―10で中京大中京(愛知)に敗れた。

 「力のあるチームではなかったのに、なんであんなに打てたのか。決勝では(全試合完投したエース・伊藤へ)“伊藤コール”が起きてね。鳥肌が立ったよ」。気力で投げ抜いた昭和、ミラクル進撃で導いた平成。あとわずか届かなかった夢は、教え子たちが令和にかなえてくれる。大井総監督はそう信じている。 (秋村 誠人)

 ◆大井 道夫(おおい・みちお)1941年(昭16)9月30日生まれ、栃木県出身の77歳。宇都宮工の左腕エースで59年夏の甲子園準優勝。早大では外野手で1年からベンチ入り。卒業後は入部した社会人野球の丸井が解散。家業のかっぽう店を継いだが、野球への情熱から宇都宮工コーチを経て、86年に日本文理監督に就任。09年夏の甲子園で準優勝し、17年夏限りで勇退。総監督に就任した。

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2019年8月11日のニュース