宮川大助「1年でもええから先走らないと」若手時代、ダウンタウンの登場で猛烈に焦ったと回想

[ 2023年5月17日 17:29 ]

夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」
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 夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川大助(73)が、14日放送のMBSラジオ「ヤングタウン日曜日」(日曜後10・00)に出演。若手時代を振り返った。

 大助は松竹芸能の養成所を経て「大助・小助」という漫才コンビを結成も数年で解散。その後、花子とコンビを組み吉本に移籍した。

 大助は当時を振り返り「弱小プロダクションで吉本経由で出させてもらってた時にNSCができて、そこの卒業生がダウンタウン、トミーズ、ハイヒール。スーパースターが3組出るわけですよ」とNSC1期生にそうそうたるメンツがいたと回想。そして「ダウンタウンが出た時に一番最初のネタが“健康診断でレントゲン写真を衛星ひまわりが撮った”ってネタをやってた時に“衛星ひまわりでレントゲン写真撮る”という発想が自分にはなかった」とネタの作り方に衝撃を受けたという。

 大助は「この人らが新人賞獲ったら、俺らはその後、新人賞ないと思って1年でもええから先走らないとって。後ろにローラー付けてペンペン草が生えないように、校庭をならすローラーあるじゃないですか。あれが後ろから追いかけてくるぐらい。髪の毛伸ばしてたら踏まれたらもうアウト。そんな勢いでダウンタウンが出てきた」と猛烈な勢いで2人が出てきたことから焦りを感じたとした。

 焦りから生まれた努力が実を結び、大助花子は1987年に上方漫才大賞を受賞。その2年後にダウンタウンも受賞し「僕がプレゼンテーターで行って“おめでとうございます”って言って、その話をした時に、松本君が“お兄さん本当によく頑張られましたね”って。もちろん、だいぶ後輩ですよ。僕はその言葉がものすごく嬉しくて、彼は“自分らの一歩前を走らないと、大助花子はつぶれるとお兄さん分かって一生懸命やってる”って。それをちゃんと見てた」と松本への感謝の言葉を口にした。

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