羽根田アジア初銅!「この日を夢見てずっと…」10年の思いあふれる

[ 2016年8月11日 05:30 ]

男子スラローム・カナディアンシングル決勝に出場した羽根田

リオデジャネイロ五輪カヌー 男子スラローム・カナディアンシングル決勝

(8月9日)
 海外武者修行で腕を磨いた異端児が快挙を果たした。スラロームの男子カナディアンシングル決勝が9日に行われ、羽根田卓也(29=ミキハウス)が97・44点で銅メダルを獲得した。カヌー競技で日本人初のメダル。2008年北京五輪は予選落ちし、12年ロンドン五輪は7位。1段ずつステップアップし、長年の夢をかなえた。デニス・ガルガウシャヌ(29=フランス)が94・17点で優勝した。

 10年分の涙がこみ上げてきた。最後の選手が伸びずに表彰台が確定すると、羽根田のいつものポーカーフェースがそこにはなかった。男泣きだ。人目もはばからず、頬を濡らした。「内側から感情があふれてきて涙を流したのは初めて」。18歳で「いつか必ず金メダルを首にかけるから」と父・邦彦さん(57)を説得して本場スロバキアに渡ったのは2006年のこと。北京の予選落ちから始まった五輪は3度目。ようやく報われた。銅メダルを手にした。

 「この日を夢見てずっとトレーニングしてきた。やっと獲れた」

 準決勝通過はトップと3・21点差の6位。このままでは表彰台は遠いとばかりに、決勝は「のるかそるかの勝負」と攻めに出た。「水の流れには急所がある」という繊細なパドルさばきでノーミス。このペナルティーなしが生きて表彰台への道が開けた。

 7位に終わったロンドン五輪後、競技人生の一大転機が訪れた。不景気もあって設計会社を営む父から支援打ち切りを言い渡された。スロバキアの首都・ブラチスラバにあるコメニウス体育大大学院に籍を置きながら生活、競技をするのには年間1000万円ほどかかる。救いの手を求め、スポンサー企業を探した。今まで書いたことがない類いの手紙や履歴書を10社に送った。「門前払いばかり。自分でお金をつくってスポーツをするのはこんなに難しいのか」と途方に暮れる中、1社から面接の連絡が来た。それが現所属先のミキハウス。リオに向けて競技に打ち込めた。

 道なき道を進んだからこそ、誰も手にしなかった勲章を勝ち取った。本当ならチェコに留学するはずだった。ところが、父が猛反対した。「日本選手の留学先はプラハ(チェコ)。日本人同士で固まってしまう。息子には厳しい環境に行けと言った」。新天地では言葉に苦闘し、夕食は軽くしか取らずパンとバターだけという食文化にもなじめなかった。ないない尽くしの中、五輪2度の金メダルで同国の英雄・マルティカンと一緒に練習ができることが励みだった。

 そのマルティカンとリオ五輪前に一緒に練習する機会があった。その時に「今しかないぞ。次の東京まで待つのか」とささやかれたという。憧れの英雄の強い言葉に決意を固めた。

 日本史が好きで、中でも新選組の本をよく読む。土方歳三がお気に入りの人物だ。「五稜郭まで自分の仕事をやり遂げた。自分もカヌーが使命だと思っている」。酒も口にせず、ストイックを地で行く侍パドラー。一夜明けた会見では「何度も頬をつねった。一睡もできなかった」と夢見心地で語った。「誠」の文字を旗印にして、日本カヌー界初のメダルという使命を果たした。 (倉世古 洋平)

 ▼カヌー・スラローム男子カナディアンシングル 片側に水かきのついたパドルを使って変化に富んだ流れのある河川を下り、速さとゲートを通過する技術を競う。今大会は全長250メートルの人工コースで実施。緑のゲートは上流から下流に、赤のゲートは下流から上流に向かって通過する。ゲートを通過できなかったら1ゲートにつき50点、ゲートに接触したら2点の減点が科せられ、1点=1秒でゴールタイムに加算される。予選は2回行い成績の良い方を採用し、準決勝以降は1回だけ行う。

 ◆羽根田 卓也(はねだ たくや)

 ☆生まれとサイズ 1987年(昭62)7月17日生まれ。愛知県豊田市出身。1メートル75、70キロ。家族は父と兄、弟。

 ☆競技歴 衣丘小4年でカヌーを始める。元選手の父・邦彦さんの影響。朝日丘中から杜若高校へ。

 ☆家族で試合 父が運転する自動車で富山、群馬、徳島、岡山などの試合へ。車中で寝泊まり。ホテル代を節約するために町の公民館を借りたことも。

 ☆大学院 08年北京五輪出場が評価されて09年にコメニウス体育大に推薦入学。現在は同大学の大学院に通う。調整方法、コーチングなどを学ぶ。日本人は体育学部に1人だけ。

 ☆世界へ 日本には国際大会が開ける人工カヌー場がないため「このままでは日本に埋もれてしまう」と、高校3年で訪れたプラハで決断。遠征先から父に留学をお願いする手紙を書いた。

 ☆スロバキア語 渡航直後はクラブチームに所属。そこのコーチに英語が全く通じず「オレがスロバキア語を覚えた方が早い」と勉強。

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