坂井、銀!“水の怪物”フェルプス狩りあと0.04秒…7センチの宿題 

[ 2016年8月11日 05:30 ]

競泳男子200mバタフライ メダルを手に記念撮影(左から)タマシュ・ケンデレシ、マイケル・フェルプス、坂井聖人

リオデジャネイロ五輪競泳 男子200メートルバタフライ決勝 2位

(8月9日)
 ニューヒーローの誕生だ。男子200メートルバタフライ決勝は初出場の坂井聖人(21=早大)が1分53秒40で銀メダルを獲得。五輪21冠の“水の怪物”マイケル・フェルプス(31=米国)を100分の4秒差、およそ7センチの距離まで追い詰めた。男子800メートルリレー決勝は日本(萩野、江原、小堀、松田)が7分3秒50で銅メダルを手にし、1964年東京五輪以来、52年ぶりに表彰台に上がった。

 タッチの差だった。ラスト50メートルを6位でターンした坂井は最後15メートルでロンドン五輪金メダルのレクロー(南アフリカ)を追い抜き3番手に浮上。怒とうの追い上げにより残り数メートルでトップのフェルプスに並びかけると、無我夢中で両腕を伸ばした。レース前は足が震えるほど緊張したが、憧れの選手と100分の4秒差の銀メダル。瀬戸や15年世界選手権覇者チェー(ハンガリー)らタレントぞろいの中で世界2位に輝き「興奮を抑えられなかった。まさか2番とは思わなくて凄くうれしい」と笑顔がはじけた。

 小学6年の作文に将来の夢として「オリンピックに出る」と力強く書き込んだ。そして「ライバルに勝つには練習しかない」とも書いた。けんかっ早く、小学校低学年の時にはスイミングスクールの上級生をロッカールームで馬乗りになって殴ったこともあるが、向かう相手はみな年上だった。強い相手に立ち向かう姿は水泳でも変わらない。鼻っ柱の強さが「一緒に泳げるだけでもワクワクした」という怪物を追い詰めた。

 中学生の頃からバタフライ一筋。両肩甲骨で空き缶を挟めるほど柔軟性に優れ、広背筋を大きく前に動かして腕を遠くに伸ばすのが特長だ。片手でバスケットボールを持つことができる大きな手と、靴のサイズも30センチと恵まれた体で推進力を生むダイナミックなフォームが強さの秘密だ。

 08年北京、12年ロンドン五輪200メートルバタフライ銅メダリストで、リオ五輪では800メートルリレーのみの出場となった松田から4月に「バッタ(バタフライ)は任せたぞ」と後継指名された。その言葉を胸に大会前は標高2400メートルあるメキシコで高地トレーニングを実施。ラスト50メートルの強化を中心に心肺機能を高めてきた。序盤に体力を温存して最後50メートルは唯一の29秒台で3人を抜き去った。準決勝までの泳ぎを映像で15回見直し、修正すべき肩の力を抜くため、レース前はあえて体を動かさずにリラックスに努めた。一夜明けた会見で松田は「限りなく金メダルに近い銀メダル」と頼もしい後輩を称えた。

 4年前、目に焼き付けた光景がある。ロンドン五輪選考会で代表落ちし、東京辰巳国際水泳場から当時の徳丸コーチと2人で会場を後にした。その時、まだ建設中の東京スカイツリーを見てコーチが言った。「建てば日本一のでかいタワーになるけれど、あれはまだ半人前。あと何年かしたら立派なものができる。おまえもまだ半人前だけれど、あのスカイツリーみたいに一つ一つ重ねていけば必ず日本一になれるから」。まだ21歳。東京五輪は「もちろん、金を狙っていきます」。覚醒した男の目には世界の頂が映っている。

 ≪夢が現実に≫ 坂井は柳川市立城内小6年の時の作文で将来、五輪に出場することを誓っていた。きっかけは04年アテネ五輪男子200メートルバタフライ銀メダリストの山本貴司のインタビュー。山本と同じ種目で、「努力」を続け見事に夢をかなえた。

 ◆坂井 聖人(さかい まさと)
 ☆生まれとサイズ 1995年(平7)6月6日生まれ、福岡県柳川市出身の21歳。1メートル81、72キロ。

 ☆競技歴 3歳の時に5歳上の兄の影響で水泳を始める。15年世界選手権4位。柳川高―早大3年。

 ☆肩 脱臼癖があり、「中学の時はぶりんぶりん外れた」。

 ☆験担ぎ 好きな色は赤と黄で、縁起がいいと、真っ赤なパンツを愛用している。

 ☆スイーツ断ち 5月は体重80キロで周囲に「太りすぎ」と指摘されてコンビニのスイーツを断ち現在72キロ。

 ☆好きな女性タイプ モデルの藤井夏恋で「顔がドタイプ」。五輪決勝直前は女性ユニットHappinessの「We Can Fly」でテンションを上げた。

 ☆家族 両親と兄。母は柳川高のテニス部で松岡修造氏は2学年下の後輩。

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