【メダリストは見た】朝原宣治 ケガや年齢と闘った松田選手 自分と重なる

[ 2016年8月11日 08:45 ]

メダルを手にする松田丈志

リオデジャネイロ五輪・競泳

(8月9日)
 52年ぶりにメダルを獲得した競泳男子800メートルリレーでアンカーを務めた松田丈志(32=セガサミーホールディングス)。4大会連続出場、最後の五輪、リレーでの銅メダル…。共通点が多いのが北京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本の男子トラック種目史上初のメダルを獲得した朝原宣冶氏(44=大阪ガス)だ。個人競技でありながら4人の力を結集するリレー。年齢と闘い大舞台に挑み続けた自身と重ね合わせた。

 “行け、行け”、“オーストラリアが落ちてきた”、そして最後は“耐えろー”…。7分余りのレースを食い入るように見ました。しかも声を出しながら…。五輪は独特の雰囲気。予選を通っても決勝は全然、雰囲気が違い、もう一段階、レベルを上げないといけない。実際、日本は4秒以上上げました。しかも米国、英国に次ぐ3位。強豪国の一員としてほかのチームからも注目される、きっかけになったレースですね。

 アスリートの人はよく皆さんの応援のおかげで…と言います。これ、本当なんです。競泳はみんな仲良しで、自分の競技が終わると会場でみんなを応援しますが、陸上はあまりそういうことがないんです。でもあの時は違いました。

 北京五輪です。珍しく、陸上競技のみんなが僕たちの400メートルリレーに対して期待してくれ、レース前にサブトラックでアップをしていたら、何人かが来て円陣を組んでパワーを注入してくれました。もちろん、競技場でもたくさんの選手が応援してくれて…。そういうのって心強いものです。リレーとはいえ、バレーなど自分のミスをカバーしてくれるほかの団体競技とは違い、あくまでも個人種目。自分の力によります。そういう意味でいろんな人が応援してくれることがメンタルの安定につながると思うし、実際に力になりました。

 52年ぶりのメダルですか。その間、いろんなことがあったんでしょうね。僕たちもそうです。派遣標準記録を突破できず、世界大会に派遣すらされない時がありました。初めて出たアトランタ五輪。400メートルリレーでは予選で自分のミスにより失格(3走が朝原の加速についていけず、バトンが渡らなかった)。ようやく決勝に残れるようになり、アテネからはほぼ同じメンバー編成でした。冬の間は月1回、合宿をしてバトン練習をして…。きつい練習を一緒にやりながら、あうんの呼吸、つながり、絆を深めていきました。北京の時は米国や英国がバトンミスで姿を消す追い風もありましたが、同じ失敗は自分たちもする可能性はあったわけです。

 競泳のリレーも、前の選手がタッチしてから次の選手が飛び込むまで0秒2を目安に引き継ぎの練習をしていたそうですね。ただ、印象としては800メートルリレーは陸上でたとえるなら1600メートルリレー。しかも陸上は加速走なので、競泳はそこまで引き継ぎは関係ないんじゃないかな。だからこそ、みんなの実力通りで、世界で戦えた証拠でしょう。

 松田選手は競泳チームの中で最年長の32歳。4度目の五輪となれば、その間の浮き沈みは想像に難くありません。若い頃、宮崎で練習していた環境も決して恵まれていたわけではないし、スポンサー探しに奔走したこともあったと聞きます。そして、ケガや年齢との闘いです。

 自分とも重なります。高校、大学は決して強豪校ではありませんでした。アトランタで初めて五輪に出て、次の年は絶好調。さあ、シドニーでは大活躍するぞと思っていたら、ケガでリレーだけのメンバーでした。全てをコントロールすることは難しいとつくづく痛感しました。そして年齢です。9秒台を目指しながらやっているけれど、練習量はどんどん落ちてできなくなる。でも個人では世界で勝つことができなくなっても、若い選手の力も借りながらだと可能になるんです。それもまた、北京で証明することができました。

 ◆朝原 宣治(あさはら・のぶはる)1972年(昭47)6月21日、神戸市生まれの44歳。夢野台高から陸上を始め、同志社大在学中の93年国体男子100メートルで当時の日本記録(10秒19)をマークして優勝。日本人として初めて10秒0台で走るなど、100メートルで数々の記録を樹立。北京五輪では400メートルリレーで五輪の男子トラック種目史上初のメダルとなる銅メダルを獲得。現在は大阪ガス所属。

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