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石原良純 石原慎太郎さんの最後の日々「死ぬぞ、3カ月で」と告白され最後の1週間は「寝るのを怖がって」

[ 2022年5月20日 14:00 ]

石原良純
Photo By スポニチ

 タレントの石原良純(60)が20日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。父で作家、元東京都知事の石原慎太郎さんの最後の日々を振り返った。

 還暦を迎えた良純。2月に父・慎太郎さんが89歳で、3月に母・典子さんが84歳で他界した。司会の黒柳徹子から「晩年のお父様にはたくさんお会いできたんですか」と聞かれると、良純はコロナ下で地方でのロケがなく、典子さんが体調を崩して施設に入っていたため、慎太郎さんの面倒をみていたとし、「なかなか大変な人ですから、大騒ぎの中で」と苦笑した。

 慎太郎さんには「たぶん意に沿わないことをたくさん言うと思うけど、おそらく僕はベストな状況をキープするためにいろんなことをするから」と伝えたというが、「まあ、ガンガンガンガンえらい風当たりでしたね。まあやり合いました」と回想した。

 「生命力っていうか、エネルギーがもの凄く強い人で」と良純。昨年10月にすい臓がんの再発が発覚したのも、慎太郎さんが自身で「病院に行く」と言い出しため。当初良純は「やめなよ、みっともないから。また便秘とか」と話したものの、慎太郎さんが1人で勝手に病院に行き、帰って来ると、「おい、大変だぞ良純、見たか、俺は本当に病気だった。死ぬぞ、3カ月で」と告知されたことを明かしたという。

 「さすがにびっくりして。そうですかとも言えずに、さすがに“どうもすいませんでした”って謝ったんですけど」とし、その後は「どうなんのかなと思ってたら、全然、本当にペースは変わらず、書きものをして、後の時間はDVDを見たりして、お酒も飲んでたし、たくさんは飲まないですけど、そうやって暮らして、看護師さんを怒鳴り、家政婦さんを怒鳴り、僕を怒鳴って」いたとした。

 「で、3カ月の最後の方になって、人と会うときは機嫌がいいんですよ、そうすると“89年の生涯はいい人生だったよな”っていうような話を、すごく朗らかに話をしていて」と明かした。だが最後の1週間は「これは俺は死ぬかもしれんな”ってやっと思ったんじゃないですかね」。慎太郎さんは医師に「俺は(自分の体と)80年付き合ってる。お前に何が分かる」などと話していたとし、当時は家と施設を行ったり来たりしていたが、最後の1週間になると、「死というか、闇というか夜が怖かったんですよね。うちの親父はヨット乗りだったんで、夜の怖さは身に染みて分かっているんだと思うんです。夜が明けると生なんですよね。寝るのを怖がって、付添いの人に“お酒飲まないか”とか、“書きものするから起こせ”とか言って」と明かした。

 また、慎太郎さんは昨年の大みそかはテレビに興味はなく午後9時ごろに「寝る」としたものの、すぐには寝られず騒いでいたという。そこで良純が「年末だから楽しく話でもしようよ」となだめたが、逆に「お前、偉そうなんだよ。ちょっと成功したからって。説教じみたこと言うんじゃねえ。天狗になって」と怒鳴られたという。良純は「これが死を目前にした人間の言うことですか。僕はね、“うわー、親父らしいな”って嬉しくなっちゃって、書き留めたんですけど、そういう生きていくエネルギーの強い人でしたね」とも話した。

 「だから、最後の1週間だけです(怖がっていたのは)。でもね、89年生きて、最後の1週間だけって凄いっていうかうまいことやったなっていうか」。最期の知らせは千葉にロケに向かっている途中に弟から「親父の容態、おかしいよ」と連絡があり、「昨日もそうだったぜ」と返したところ、1時間後に他界したと知らされたという。「僕は口をついて出た言葉が“マジ”、なんかちょっと笑っちゃったっていうか、アッパレと言うか、自分の死までそこまで踏み込んで、采配したのかなって言う、まあ死は怖かったでしょうけども」と語った。

 良純は叔父で1987年に他界した俳優の石原裕次郎さん(享年52)の晩年は周囲に怒鳴ることもなく、常に穏やかに最期を迎たえたために慎太郎さんも「俺はまねできない」と話していたとし、「あの戦い方とうちの父親の最期の戦い方は違うけれども、やっぱりなんか最終的には“そうやって人は亡くなるんだ”って言うのを見たかなという気はしますね」としみじみと話した。

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