甲子園で初の東西横綱対決…東海大相模・門馬監督「導かれた一戦」大阪桐蔭・西谷監督「一生忘れられない」

[ 2020年8月18日 05:30 ]

2020年甲子園交流試合最終日   大阪桐蔭4―2東海大相模 ( 2020年8月17日    甲子園 )

<大阪桐蔭・東海大相模>8回、薮井は左前に勝ち越し2点適時打を放つ(撮影・北條 貴史)
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 最高の舞台が用意され、最高の結末が待っていた。春夏甲子園で通算8回の優勝を誇る大阪桐蔭が、春夏4回優勝の東海大相模(神奈川)に逆転勝ち。甲子園で初めて東西の「横綱対決」が実現し、途中出場していた主将で背番号14の藪井駿之裕(しゅんのすけ=3年)が、決勝の2点打を放った。西谷浩一監督(50)が「一生忘れられない試合」と振り返った一戦。野球の神様がくれた、特別な夏の6日間が終わった。

 夏の太陽が容赦なく照りつける。
グラウンドに陽炎(かげろう)が揺れ
浜風は、なぜかピタリとやんでいた。
まるでドラマを予感させるように。

大阪桐蔭VS東海大相模。
いつもの甲子園なら、スタンドが
超満員に埋まるはずの好カードだ。
この夏は響き渡るアルプス席の応援も
大観衆から湧き起こるどよめきもない。
でも、甲子園はいつだって変わらない。
全力プレーの球児たちに
女神がほほ笑みかける。

大阪桐蔭の主将、藪井。
1年夏の甲子園はボールボーイだった。
あれから2年。大阪桐蔭では珍しい
2桁背番の主将で甲子園へ戻ってきた。
同点の8回1死二、三塁。
2ボールからの3球目に試みた
スクイズがファウルになる。
「やったな」と思った。
でも、ここからが違った。
フルカウントに持ち込んで9球目だ。
外角を狙い、内角に来た直球に体が反応する。
左翼線への打球はフェアゾーンに落ちた。
女神が、ほほ笑んだ瞬間だった。

決勝の2点打。
「ここ一番でチャンスで回ってきたら
 絶対自分が打ってやろう
 という気持ちはあった」
そのための準備はずっとしてきた。
7回。故障でベンチスタートだった
主砲・仲三河優太(3年)が
代打安打を放って同点を呼び込んだ。
藪井はその打順に入って
8回の守備から出場。
何かの巡り合わせなのか。
8回裏のチャンスで主将は打った。

大阪桐蔭・西谷浩一監督は言う。
「野球の神様が
 キャプテンに回してくれたような場面で
 しぶといヒットを打ってくれた」
この一年の苦労を
知るからこその言葉だった。

昨夏の主将選考。
選手の票が最も多かった。
でも、控えの主将。
レギュラーがどう考えているか
一人一人聞いて回った。
どうしたら日本一になれるか。
センバツが中止でも
夏の甲子園がなくなっても
チームのモチベーションは落ちない。
主将・藪井がいたから。

甲子園は球児のつらさも
苦しさも知っている。
どんなに頑張ってきたか。
そして女神が優しくほほ笑む。

大阪桐蔭と東海大相模。
両校は、高校野球史に
数々の歴史を刻んできた。
ただ、練習試合はしても
甲子園での対戦はない。
組み合わせが決まった時のことだ。
東海大相模・門馬敬治監督は
「導かれた一戦」と表現した。
そう、野球の神様は
確かに甲子園にいる。
そうでなければ
特別な夏に起きた奇跡の説明がつかない。

昨夏の甲子園。
決勝で激闘を繰り広げた履正社と星稜が
たった1試合の夏に
再び相まみえた。
ただの偶然ではないだろう。
見えない何かが両校を引き寄せた。
10―1。
試合は履正社が勝った。
スコアは開いても
1球にかける思いは
昨夏と変わらなかった。

運命のいたずらなのだろうか。
神様は粋な舞台も用意した。
21世紀枠の磐城。
センバツの中止後
他校へ異動となった前監督の木村保氏が
特例でノッカーとして甲子園にやってきた。
「夢のような7分間でした」
試合前のシートノックを終え
木村前監督の涙は止まらなかった。

そして迎えた交流試合最終日。
野球の神様に導かれ
大阪桐蔭と東海大相模は
好ゲームを展開し
一瞬の夏をさらに熱くした。

「命懸けて
 ここは絶対に勝たないといけないと思った。 高校生活で一番いい試合だった」
大阪桐蔭・藪井は目を潤ませた。
代替大会で敗れた日。
夜遅くまでバットを振っていた。
勝ちたい、と。
そして、最後の一戦に勝った。
その手には、少し破けた打撃用手袋がある。
17年の主将、福井章吾(現慶大)から
主将に受け継がれてきたものだ。
右に「主将力」
左に「日本一」の文字。
ぎゅっと握り締めて前を見た。

日本一への道はコロナ禍に奪われた。
だけど「主将力」は存分に発揮した。
「大阪桐蔭の歴史に残る
 キャプテンになった」
西谷監督の言葉がその証明だ。
手袋は、特別な夏を戦い抜いた藪井主将から
次代の主将へ受け継がれていく。

一瞬の夏。
甲子園が熱く燃え、16試合が終わった。
夕日が差す外野の芝には
いつもの夏のように
赤とんぼが飛んでいた。(秋村 誠人)

 ≪両校で計12度のV≫東海大相模は69年の夏に甲子園初出場。翌70年夏に初優勝を飾ると75年センバツで準優勝するなど、70年代に春夏計8度の出場を果たした。80年代は出場がなく15年ぶりの甲子園となった92年センバツで準優勝。以降、00年春、11年春、15年夏に優勝した。大阪桐蔭は91年春に初出場すると同夏に初優勝。12、18年と春夏連覇を2度達成。春夏計8度の優勝は11度の中京大中京に次ぐ歴代2位だ。

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