石田ゆり子 子供の頃は水泳選手 将来を有望視されるも父の転勤で断念「精神的に鍛えられました」

[ 2022年10月16日 18:09 ]

石田ゆり子
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 女優の石田ゆり子(53)が16日、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」(日曜前10・00)にゲスト出演。水泳をやっていた当時を振り返った。

 石田は自身の素顔として「私、水泳選手だったんですね。子供の時ですけど。9歳から始めて、10歳の時ジュニアオリンピックという全国大会に出たんですよ」と明かした。「その頃はカエルの子なんじゃないかっていうくらい、水泳始めて1年で全国大会に出ることになったので、かなり期待を背負ってたんですけど」とも語った。

 当時はロサンゼルス五輪(1984年)の前だったとし、「そこの強化選手になれるところだったんですけど、ちょうど家族が台湾に転勤になり、家族とともに台北に移り住んだんですね」と回顧。「それで水泳か、親と一緒に暮らす生活か、どっちかを選べとコーチに言われ、親を選びました」と続けた。

 「(ロサンゼルス五輪などに出場した)長崎宏子さんとかと一緒に…。もちろん彼女の方がダントツに素晴らしい選手でしたけど、あの時代ですね」と石田。平泳ぎで「50(メートル)と100ですね」と語った。驚く安住紳一郎アナウンサーらに「いやいや、そんな大したことないです」としながらも「練習はきついです」と言い切った。

 「水泳って、全てのスポーツの中で、最も呼吸が苦しい…。まず水の中なので、話はもちろんできないし、相手が見えないんですね。相手が見えないのに、ただただ泳がなきゃいけないっていう、なんか正直何が楽しいか分からないスポーツなんです、競泳は」と力説、「だから私競泳選手をオリンピックで見ると、凄い精神力だなって今でももちろん思うし、何が楽しいのかなって本当に。こんなにもつらいものをここまで続けられるって凄いなって逆に自分が苦しくなります」と語った。

 タイムが縮まらない時は「自分が何やってるか分からなくなります。途中で」とも話した石田。タイムが出ることが喜びだったかと聞かれると、「それもありますし、私の場合はコーチとか仲間、そこで生まれる友情が素晴らしかったので、彼らと一緒にいたくてやってましたね。気持ちは団体戦みたいなところはありましたね」としみじみと語った。

 穏やかな印象の石田だけに、安住が「今も内面にあるのはかなり激しいタイプの。できることを今やれ!みたいな鬼軍曹みたいなのが通ってるんですよね」と語ると、石田は「そうですね。私は水泳やめたの17歳ぐらいですけど、そっから今までの人生であれ以上つらかったことは1回もないです。精神的に鍛えられました」とも断言した。

 安住「いまだにプールは近づきたくない感じですか?」と尋ねると、石田は「本当に不思議なんですけど、あの頃泳ぎすぎて、今泳ぎたくないんですよ。本当に。とても残念なんですけど、いろんな方が“また泳げばいいのに”って言うんですけど、なんか、“もう泳ぎ切りました”っていう思いがあって。特にプールは入らないですね。海ならまあいいかなみたいな」と明かした。

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2022年10月16日のニュース