中継の“生き字引”…みのもんた 母校・立大の55年ぶり箱根駅伝出場に歓喜「タスキ最後までつないで」

[ 2022年10月16日 05:05 ]

母校・立大の箱根駅伝出場を喜ぶ、みのもんた
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 15日に行われた第99回箱根駅伝の予選会で立教大が55年ぶりの本戦出場を決めたことに、OBのフリーアナウンサーみのもんた(78)が大喜びした。

 スポニチ本紙の取材に応じたみのは「いや~うれしいね。55年ぶりだもんね」と新年の正月に楽しみができたことの喜びをかみしめた。史上最長ブランクで出場権を手にした選手たちに「頑張って、応援しています!」と力強くエールを送った。

 「実は僕、文化放送時代に箱根駅伝の実況をやっていたんですよ」。1967年の入社から間もなくしてから、4年ほど担当した。「スタートやゴールは先輩がやるから、僕はそれ以外の区間のつなぎ役。吹きさらしのジープに乗って、新橋や品川ぐらいから芦ノ湖あたりまで、いろんなドラマを伝えた」と記憶を振り返った。

 ただ、母校の活躍を伝えたことはなかった。立大は68年に出場したが、この時、みのは入社1年目。実況には携わることはなかった。この年を最後に立大は本戦に出場していなかった。「すれ違っちゃったんだろうね。でも立教が出場していたら応援になっちゃって、実況にならなかったと思うけど」と笑い飛ばした。

 当時は箱根駅伝の中継の黎明(れいめい)期。テレビ中継が始まったのは79年で、ラジオだけが熱戦を伝えていた。みのは箱根駅伝中継の“生き字引”とも言える。

 「ラジオだけだったから、力が入っちゃって自然とオーバーになっちゃった。選手がまだまだ元気に走っているのに“フラフラです!地をはうように走っています!”って」。ジープに揺られ、自らも車酔いと闘いながらの実況。「気持ち悪くなって胃袋がえぐられるような感覚もあった。今ではいい思い出だね」と振り返った。

 心に残るのは、どんなにフラフラになりながらも、タスキをつなぐために前へ進もうとする選手の姿。「本当にいろいろなドラマがあった。いつか立教もあの舞台へ戻ってほしいと思っていたからうれしいよ。出場するだけでも快挙だけど、タスキを最後までつないでほしい」と力を込め、冗談交じりに「実況はオーバーに!」とアナウンサーに注文を付けるのも忘れなかった。

 ≪ラジオで53年から中継≫箱根駅伝の中継は1953年大会からNHKラジオで始まった。実況は選手に伴走するラジオカーから行われた。文化放送では94年から全区間の生中継が始まったが、同局関係者によると、94年以前から一部区間や収録の形で放送していたという。テレビ中継は東京12チャンネル(現テレビ東京)が79年に開始。一部地域のみ、ほぼ録画でゴールシーンだけ生中継された。日本テレビは87年から全国生中継を続けている。

 ◇みのもんた 本名・御法川法男(みのりかわ・のりお)1944年(昭19)8月22日生まれ、東京都出身の78歳。立大卒。67年、文化放送に入社し「セイ!ヤング」などを担当。79年にフリーに転身。TBS「みのもんたの朝ズバッ!」、日本テレビ「午後は〇〇おもいッきりテレビ」などで活躍した。

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