【何かが起こるセンバツ記念大会(8)】21世紀初の記念大会に集った五輪代表“3人のスーパーエース”

[ 2023年3月21日 08:05 ]

東北・ダルビッシュのセンバツデビューを報じる2003年3月27日付スポニチ紙面
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 熱戦が繰り広げられている第95回選抜高校野球大会。今大会は5年ごとに開催される「記念大会」。一般出場枠が4枠増え36校出場の大会となる。過去の記念大会では後にプロ野球で活躍するレジェンドたちが躍動し、史上初の完全試合が達成されるなど数々のドラマが演じられてきた。「何かが起こるセンバツ記念大会」第8回は03年の東北・ダルビッシュ有、横浜・成瀬善久と涌井秀章。

~ネット裏に12球団、MLBスカウトも来た~

 2003年第75回選抜高校野球記念大会第4日第3試合「東北(宮城)―浜名(静岡)」甲子園のネット裏にはNPB12球団だけではなくMLBのスカウトの姿もあった。お目当ては東北のエース、ダルビッシュ有。この春2年生になる16歳の少年だ。

 1メートル94、78キロ、細身の体から繰り出されるストレートはMAX147キロ。変化球のキレも超高校級といわれていた。初回にこの試合の最速となる144キロを記録。2回まで2安打を許したが危なげなく抑える。3回から6回までノーヒット。7回に2安打を集中され1点を失ったが、8、9回はピシャリと締めた。4安打7奪三振、無四球。最後の打者を遊飛に打ち取るとバックスクリーン方向に振り向いて両手でガッツポーズ。あの「平成の怪物」松坂大輔の出現から5年「21世紀の新怪物」が誕生した。

 中学時代は「全羽曳野ボーイズ」で全国大会8強。日本代表入りして世界大会で3位となった。若生正広監督の人柄を慕い50校近い誘いの中から東北を選択した。2学年上には02年ドラフトでヤクルトに1位指名される高井雄平がいた。その高井からエースナンバーを引き継いだ02年秋季宮城県大会。東北大会進出をかけた準決勝・古川工戦で初先発し完封勝利。東北大会では準決勝・日大山形戦で1失点完投。決勝では盛岡大付(岩手)相手に完封勝利を飾ってセンバツ切符をほぼ手中にした。11月に開催された明治神宮大会では初戦の平安(京都)戦で147キロを記録。全国デビューを果たした。

~右脇腹痛め6回9失点“ボコボコ”KO~

 甲子園初勝利を挙げたダルビッシュだが、体は悲鳴を上げていた。3月22日の開会式後、ファンに握手を求められた際に右腕を引っ張られ右脇腹を痛めていた。病院にはいかずチームメートにも悟られないようにストレッチを繰り返した。前日は雨天順延となり1日の猶予を与えられたが痛みは引かず本番の舞台へ。「息ができないくらい苦しい」状況のなかで変化球を駆使しながら白星にたどり着いた。

 「プレッシャーはなかったけど、ホッとしました。でもスピードは出ないし、変化球のキレもなかった」

 ヒーローインタビューを「体調を万全にして次は思い切り頑張りたいです」と笑顔で切り上げたダルビッシュだったが、甲子園は甘くはなかった。4日後の3回戦、花咲徳栄(埼玉)戦に先発も2回から毎回失点で6回12安打9失点KO。失意の2年生エースはマウンドで座り込んでしまった。

 「いままで打たれたことがあまりなかったので、うぬぼれがあったと思います。ボコボコに打たれて逆にスカッとしました。痛みの影響?なかったとはいえません。甲子園は最高でした。また戻ってきたいです」

 その言葉通り、この年の夏以降、ダルビッシュは3季連続甲子園に出場。03年夏は決勝で常総学院(茨城)に敗れたものの準優勝。翌年春には熊本工相手にノーヒットノーランを演じている。

~松坂以来のVへ 成瀬と涌井左右2枚看板~

 この大会「東の横綱」として優勝候補の大本命といわれたのが70回記念大会の覇者・横浜(神奈川)だった。5年前は松坂の5試合連続完投で春を制したが、この大会では左の3年生・成瀬善久と右の2年生・涌井秀章「左右2本柱」で頂点を目指していた。

 初戦(2回戦)の盛岡大付戦は先発した成瀬が投打で大活躍。5回に三塁内野安打で打点を挙げると、二走で重盗まで決める。投げては左手人さし指のつめを割りながら7回を4安打無四球で無失点。8回からは右の本格派・涌井が登板。1安打3奪三振、こちらも無四球で完封リレー。“10点満点”の試合運びで「松坂世代の横浜」以来5年ぶりの春1勝をつかんだ。

 3回戦は5年前の夏、準決勝で6点差を逆転する死闘を演じた明徳義塾(高知)。やはり難敵だった。成瀬が先発。1点をリードした1回裏、先頭打者に四球を与え、明徳打線に火をつけてしまった。2点を奪われ逆転される。そのまま試合は終盤へ。8回横浜は2死無走者から中前打と敵失で一、二塁。代打・太田智英の二塁ベース後方のフラフラと上がった当たりが適時打となり同点。打席は成瀬。どん詰まりの打球が二塁手のグラブの先に落ちて勝ち越した。だが“因縁の相手”は簡単には勝たせてくれなかった。その裏、成瀬が3連打を浴びて再び同点。横浜は涌井にスイッチした。9回裏を3人で抑え延長に突入。威力ある直球で明徳打線の勢いを萎ませた。12回横浜は4点を奪い勝ち越し。涌井はその裏、ピンチを招きながらも乗り切って8強に名乗りを挙げた。

~初めて決勝で負けた 広陵に15失点大敗~

 準々決勝では成瀬がエースの意地で古豪・平安(京都)を2安打完封。唯一のピンチだった8回1死一、二塁で代打・竹原正勝を「きょう一番の(スクリュー)ボール」で空振り三振。チームを4強に導いた。「初戦を勝てればいいと思っていたけど1試合ごとにチームは強くなっている」エースの目には春の頂がうっすらと見え始めていた。準決勝でも成瀬が好投。スクリューを軸にした変化球主体の投球で8回まで徳島商を2点に抑える。9回2点差に迫られるが2死からバトンを託された涌井が最後の打者を右飛に仕留めてゲームセット。「松坂世代の横浜」とは違った継投の妙で決勝に進出した。

 最終決戦。待っていたのは「西の横綱」広陵だった。左手人さし指のけがが限界に達していた成瀬は先発を回避。涌井に大役を託した。その涌井が初回、先頭の上本博紀(元阪神)から3連打を浴びて2失点。4回途中まで9安打、6四球の大乱調で6点を失った。渡辺元智監督は無理を承知で成瀬を投入したが11安打9失点と広陵に打ち込まれ15失点の大敗。春夏の甲子園で過去4度頂上決戦をすべて制してきた横浜の“決勝不敗神話”が崩壊した。

 「上には上がいると思いました。また夏に頑張ります」と語った成瀬だったが、これが最後の甲子園となった。涌井は3年生の夏、再び聖地を踏むが準々決勝で敗退。全国制覇はならなかった。

~5年後、パ3球団の最強エース 北京五輪代表で競演~

 第75回記念大会に集った3人の投手はプロの舞台でライバルとなる。3年生の成瀬はこの年のドラフト6巡目でロッテに入団。翌04年ドラフトではダルビッシュが日本ハム1巡目、涌井が西武1巡目、それぞれ単独指名を受けプロの世界に入った。同じパ・リーグ。エースとしてしのぎを削った。3人の2007年の成績がすさまじい。成瀬は16勝1敗、防御率1・817で最優秀投手(最高勝率、現在は勝率第1位投手)と最優秀防御率のタイトルを獲得。ダルビッシュは15勝5敗、防御率は1・820で成瀬に僅差の2位。210三振で奪三振王となる。涌井は17勝10敗で最多勝を獲得している。3人のスーパーエースはシーズン終了後に開催された北京五輪予選を兼ねたアジア野球選手権で日本代表に揃って招集された。決勝リーグの3試合に先発。涌井はフィリピン戦、ダルビッシュは台湾戦で勝ち投手。成瀬も宿敵・韓国戦で好投して北京五輪出場権をもぎとった。08年北京五輪本大会でも代表入り。3人とも予選リーグで先発し、決勝トーナメント進出に貢献している。

 75回記念大会から20年のときが経った。成瀬はBCリーグ栃木の選手兼投手コーチとしての道を歩み、ダルビッシュはMLBパドレス、涌井は新天地・中日で戦いの最前線にいる。(構成 浅古正則)

※学校名、選手名、役職などは当時。敬称略

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