古舘伊知郎が弔問 猪木さんへ「魂はまた動き出す しばし休んでください」

[ 2022年10月2日 05:01 ]

リングサイドで実況放送する古舘伊知郎(右)とアントニオ猪木さん
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 70、80年代の新日本プロレス黄金期にテレビ朝日「ワールドプロレスリング」で実況を担当したフリーアナウンサーの古舘伊知郎(67)が1日、本紙などの取材に応じ「猪木さんがこの世にいないというのは、大変さびしい」と肩を落とした。名勝負を名調子で伝えた古舘は「宿命的に最後まで何かと戦い続ける人だった」としのんだ。

 悲報を聞いたこの日午後、都内の自宅を弔問。「本当に良い顔をしていらっしゃった。苦しみから解放されたんじゃないかな。元気だった頃の猪木さんを思い出しました」と語り、どこか安堵(あんど)した表情を見せた。2年前から3週間に一度は会いに行っており、覚悟はしていた。「刻一刻の状況は分かる。かなりつらい状況だったので(悲報に)半分は驚き、半分は“あぁ”というふうに思いました」と語った。

 最後に会ったのは9月27日。「会いたい」と電話で呼ばれた。自宅のダイニングテーブルに姿を見せたが、しゃべるのもつらい状況。ベッドに行くことを促し、古舘は椅子を持って横に行った。「脚をさすったり、もんだり。疲れちゃうから何もしゃべらなくていいと思って」。その時、猪木さんが目を開いて「明日、早いの?」と言った。「こんなにつらいのに、猪木信者に最大限の気を使うんです」。猪木さんらしい言葉に、古舘は「早くないです」とウソをついた。少しでも一緒にいたかった。これが最後の会話となった。

 テレ朝に入社した1977年からプロレス実況を担当し、87年まで11年間出演。「思えば戦後の敗戦、焼け野原にプロレスの炎がともって、高度経済成長の波とともに、猪木の闘いが花開いていったのであります」――。独特の名調子で激闘を伝えた。勇退時には大阪城ホールで猪木さんらに胴上げされ、チャンピオンベルトをもらった。これが家宝。

 その後も選挙の応援などで、交友関係が続いた。亡きがらにはこう言葉をかけた。「魂はまた動き出すでしょうから、しばし休んでください」。輪廻(りんね)転生。闘魂は死なないと思っている。

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