偶然と幸運が「アシスト」したシンガー人生 サンプラザ中野くんがルーツを語る

[ 2022年3月13日 19:14 ]

サンプラザ中野くん
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 ミュージシャンのサンプラザ中野くん(61)が13日、文化放送「山本譲二の住まいるフレンド」(日曜後5・30)にゲスト出演。歌手になった経緯と芸名の由来を語った。

 ロックバンド「爆風スランプ」のボーカリストとして、「Runner」「大きな玉ねぎの下で」など1990年代に大ヒット曲を連発。現在も幅広く活動する中野くんが、音楽活動を開始したのは早大在学中だった。メインパーソナリティの山本譲二に「(バンドやるには)メンバーを集めなくちゃいけないでしょ」と聞かれ、偶然が手伝った意外な事実を明かし始めた。

 「友達が“バンドに入ったから見に来てよ”って言われて、チケット買って行ったんですよ。そしたら、そのバンドが格好良くて面白くて、すぐに大好きになりまして。で、次の日、学校へ行く電車の中で、そのバンドのリーダーの方と、たまたま会って、その人が“うちのバンド、昨日で半分くらいメンバーが抜けちゃって。ボーカリストもいなくなって。中野くん、歌好きなんでしょ。入らない?”って、スカウトされたんですよ」

 それが「爆風スランプ」の前身「スーパースランプ」の第一歩だった。音楽活動は順調で、中野サンプラザで開催されたアマチュアバンドのコンテストで準優勝。打ち上げの席で、中野くんの「未来」を決める出来事があった。

 「自己紹介が回ってくる時に、隣にいた他のバンドの女性に、“ボク、何て言ったら受けますかね”と相談したら、“あなた、本名が中野で、きょうやった場所が中野サンプラザだから、ひっくり返してサンプラザ中野ですって言ってごらんよ。受けるから”って言われて。ホントに受けて、じゃあ芸名にしよう、と」

 目に見えない「縁」や「運命」が人生を左右した出来事を、中野くんも感慨深そうに振り返っていた。

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2022年3月13日のニュース