「ちむどんどん」若き日の三郎・田中偉登 暢子との“縁”に“ちむどんどん”「エール」以来の朝ドラに喜び

[ 2022年8月4日 08:15 ]

連続テレビ小説「ちむどんどん」第84話。若き日の三郎(田中偉登)(C)NHK
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 女優の黒島結菜(25)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は4日、第84話が放送され、俳優の田中偉登(たけと、22)演じる若き日の三郎と房子(桜井ユキ)が描かれた。

 <※以下、ネタバレ有>

 朝ドラ通算106作目。タイトルは沖縄のことばで「チム(肝=心)が高鳴る様子」「胸がドキドキする」という意味。映画「パッチギ!」「フラガール」などで知られ、2014年後期「マッサン」を担当した羽原大介氏がオリジナル脚本を手掛ける。今年、本土復帰50年を迎えた沖縄を舞台に、沖縄料理に夢を懸けるヒロイン・比嘉暢子(のぶこ)ら個性豊かな4きょうだい、本土復帰からの歩みを描く。

 第84話は、1978年(昭和53年)8月、結婚を決めた暢子(黒島)と和彦(宮沢氷魚)。「アッラ・フォンターナ」が危機に陥る中、暢子は、房子(原田美枝子)に三郎(片岡鶴太郎)と結婚しなかった理由を尋ねる。一方、鶴見の「あまゆ」でも、和彦が三郎に同じことを聞く。語られなかった房子と三郎の過去とは。そんな中、暢子を訪ねて鶴見にやってきたのは、意外な人物だった…という展開。

 三郎の父は沖縄から鶴見へ、仲間を会社を興した。沖縄出身者の父親代わりのような存在に。三郎は“お坊ちゃん”扱いに反発し、ケンカ三昧だった。

 戦前。房子の両親はやんばる村から働きに。房子は鶴見で生まれた。やんばるに残った房子の姉が、暢子の父・賢三(大森南朋)の母。姉は房子と一度も会わぬまま、他界。母は病気、父は工場の事故により、早くに旅立った。妹は鶴見の知り合いに預けられ、房子は日本料理店で住み込みの下働き。必死に修行し、数年後に鶴見で小さな屋台を持ち、妹を引き取った。

 その頃、客の男2人に絡まれた房子(桜井)を救ったのが三郎(田中)だった。三郎は房子のラフテーを食べ「うまい」。三郎は一目惚れした。

 房子は「相手は実業家の御曹司。釣り合うわけがない。それなのに、惚れちゃった」。周囲は大反対。三郎は「来る日も来る日も、みんなに『おまえは騙されてる』『住む世界が違う』って言われて。で、強引に見合いさせられて」。県人会の中でも家柄のいい、現在の妻・多江(長野里美)だった。三郎がクヨクヨしているうちに、房子は三郎の親戚から手切れ金を渡され、姿を消した。

 三郎は「探さなかった。オレはあの人を捨てた意気地なしなんだ」、房子は「私はあの人を捨てた。手切れ金を持って県人会を飛び出して、念願の料理屋を構えた」――。

 三郎(田中)は多江(和内璃乃)と結婚。そして、召集。三郎がシベリアから帰ってくるまで、多江は家業を守り、県人会や親戚の面倒も見た。「今のオレがあるのは全部、多江のおかげ。昔も今も、最高の女房だ」。三郎は房子への償いと願掛けで、酒を断った。ともに、相手は自分を恨んでいる、会わす顔がないと口にした2人。再会は叶うのか。

 ▼田中 偉登(主人公の実家「喜多一」の店員役を演じた)「エール」(20年前期)以来、再び朝ドラに参加できて、とても光栄です。僕は現在の三郎さんに比べ、荒々しくザラザラとした若き日を生きました。暢子を三郎さんのもとに導いたのが、僕があの時、賢三さんから教わった三線の音だったことにテレビの前でちむどんどんしました!作品を通して、今ある当たり前のことは幸せなことなのだと再認識することができました。幸せになることをあきらめない4兄妹が自らの手でどのように幸せをつかむのか、最後まで楽しみです。

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