「何苦楚」の継承者・岩村氏が中西さんからの教えや伝説を語り継ぐ「ますます何苦楚魂で頑張らないと」

[ 2023年5月18日 22:16 ]

08年、何苦楚魂の師匠である中西太氏(右)に指導を受ける岩村
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 ヤクルト時代に指導を受け、中西さんから「何苦楚(なにくそ)」を継承するBC福島の岩村明憲球団社長兼監督(44)が本紙の取材に応じ、数々の教えや伝説を語り継ぐことを誓った。

 プロ3年目の99年から、打撃アドバイザーを務めた中西さんから3年間指導を受けた。「初めてお会いした時には太さんは66歳だったのですが、試合開始の6時間以上前から神宮の室内で、打撃投手していただきバットを振り続けた。技術的なことや引き出しは、太さんに教えていただいた」。岩村氏のヘルメットの中に、中西さんが記したのが「何苦楚」の文字。「何事も苦しんで努力したものが礎(いしずえ)になる」という教え。「打席でヘルメット脱いだ時にはその文字を見て、心落ち着かせたり。太さんも三原さん(脩氏、元西鉄監督などで、中西さんの義父)に教わり、僕がそこに“魂”と付けて、何苦楚魂として広がることを、太さんも喜んでくれていた。練習でこれだけのことをやってきたのだから、という裏付けが最後に力になった」と振り返る。

 打撃アドバイザーを離れても、常に打撃の状態を気にかけてくれた。「神宮や東京ドームに顔をみせてくれて。声を聞くと安心してヒットが出たり、不思議なものですよね」。07年の大リーグ・デビルレイズ(現レイズ)移籍後も、国内の自主トレでは打撃投手を務めてくれた。

 この日の埼玉戦には選手たちにミーティングで「俺の師匠だ」と中西さんの訃報を伝え、チームで黙とうをささげて臨み、勝利した。「ますます何苦楚魂で頑張っていかなければならないと、改めてそういう思いにさせていただいた。野手の練習メニューは、僕が太さんにしていただいてきたもの。本当に野球界全体に大きなものを残されたと思う。プロだけじゃなくて、アマチュア球界も含めて。教わったことも、太さんの伝説の数々も、次の世代にしっかり伝えていきたい」と思いを引き継ぐ。

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