阪神ドラ2・鈴木勇斗 剛腕チャプマンに憧れ、球児本をヒントに直球を磨いた

[ 2021年12月2日 05:30 ]

鹿屋中央3年時の鈴木勇斗。2年秋からエース番号を背負った (提供写真)
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 誰もが想定していなかったところから勇斗の野球人生は始まった。父・洋さんと5歳上の兄・駿平さんが野球をやっていた影響で小学3年から「串木野黒潮」で野球を始めることになった。両親からプレゼントされた右投げ用グラブをぎこちなくはめたのは、なんと右手。勇斗は“サウスポー”だったのだ。

 文字を書くのも、食事の際に箸などを持つのも全て右手だったため、両親は右投げ用グラブを当然のように用意したのだが、投げるのだけは「左」。ポジションを決める際も一塁以外の内野はできず、興味を持ったのは投手だった。

 「速い球が投げたい」

 野球を始めた当初から速球派投手に憧れを抱いた。メジャー中継を見るのが日課で、特に世界最速の約169キロを計測した当時レッズのチャプマン(現ヤンキース)の投球は同じ左腕として、心に刺さるものがあった。早朝の中継を録画し学校から帰宅すると、すぐにテレビに向かい、かじりつくように見入った。

 鹿屋中央高に進学してからは寮生活だったこともあり、中継を見る機会はなくなったが、速球へのこだわりは増すばかり。野球部のルールで携帯電話の使用が禁じられていたため、ネットやYouTubeなどの動画サイトから情報を得ることはできなかったが「本を読むことが増えた」と、読書で速球派への道を探った。

 「体の使い方の本や、藤川球児さんの本などを見て、投げ方も実践して、試したりしていました」

 とりわけ、参考にしたのが火の玉ストレートが代名詞で阪神の守護神としても活躍した藤川球児の著書である「藤川球児のピッチング・バイブル」。投手としての基本やコンディション面などが解説されているもので、直球の握りも人さし指と中指の間隔を狭めるなど自分に合うものを模索。試行錯誤する中で球速は高校入学時は135キロだったのが、1年ほどで145キロまで上昇。真っすぐで空振りを取れるようになり、2年秋からはエース番号を背負った。

 「物心ついた時にチャプマンの速い真っすぐに魅せられて、そこからずっと(直球への)こだわりが強かった。どうしたらもっと速い球を投げられるのか、常に考えてやっていた」

 こだわってきたものが一つの形になり始めた。一方で、大きな転機が待っていた。(長谷川 凡記)

 ◇鈴木 勇斗(すずき・ゆうと)2000年(平12)3月17日生まれ、鹿児島県日置市出身の21歳。吉利小3から野球を始める。日吉中では「串木野黒潮」に所属。鹿屋中央では2年秋からエースで3年夏は準決勝で敗退し甲子園出場なし。創価大では2年春からリーグ戦に登板し通算23試合で10勝3敗。3年秋は最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3冠。50メートル走6秒5、遠投100メートル。1メートル74、83キロ。左投げ左打ち。

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