松井秀喜氏の言葉に見えた敗者論 負けたことを財産に…「自分のエネルギーになった」

[ 2019年8月23日 16:22 ]

松井秀喜氏
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 今夏の甲子園決勝戦。履正社のリードで中盤を終えると、松井秀喜氏(45)の1年前の言葉をふと思い出した。巨人の宮崎キャンプで臨時コーチを務めていた同氏を歴代の担当記者で囲む会があった。愛息が誕生した時に外国人ベビー並みの大きさだったことや、子供と衛星放送でNHK教育テレビを観る機会も多く「日本にいた頃よりNHKに世話になっているなぁ」など。話題には事欠かず、楽しい時間が流れた。

 「どうかなぁ?星稜は負けることで歴史をつくってきたチーム。それでいいんだよ」

 記念大会となる第90回センバツを前に、下馬評の高かった母校・星稜に話が及ぶと、松井氏はそう笑った。

 自身の高校時代。「部室にあの時のスコアボードが飾ってあった。誰か先輩がつくったんだろうね。当然、毎日、嫌でも目に入る。自然とそんな環境の中で練習していた」と懐かしそうに目を細めた。もちろん、“あの時”とは79年夏、箕島(和歌山)との延長18回の死闘でサヨナラ負けを喫した試合だ。

 自身は92年夏の甲子園2回戦・明徳義塾(高知)戦で5打席連続で敬遠され、一度もバットを振らずに甲子園を去った。25年以上の月日が経った今、「いつ振り返っても、自分にとってはプラスになった出来事。あの後、自分のエネルギーになったからね」。5打席連続敬遠されたことで、それだけのバッターだということを証明しなくてはならない。巨人でもメジャーでも、現役時代は「ずっと心のどこかに(そんな思いが)無意識にあったのかもしれない」と振り返った。

 95年に続く夏の甲子園2度目の決勝でも、星稜は頂点に立つことができなかった。

 「ここで優勝できないのが星稜。母校のそういうところも大好きです」――。

 松井氏が大会本部を通じて寄せた試合後のコメント。負けることは悔しい。ただ、負けることが必ずしも負の歴史とはならない。財産として次世代の星稜ナインにしっかり受け継がれていく。(東山 貴実)

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