履正社 岡田監督33年目悲願 部員11人からスタート「泣くことはないだろうと思ったが…」

[ 2019年8月23日 05:30 ]

第101回全国高校野球選手権大会 決勝   履正社5―3星稜 ( 2019年8月22日    甲子園 )

初優勝を飾り、ナインに胴上げされる履正社・岡田監督(撮影・北條 貴史)
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 昭和のPL学園、平成の大阪桐蔭と続く大阪代表の系譜に、令和の初代王者として履正社の名前を残した。昨年の大阪桐蔭に続く大阪勢の連覇。大体大浪商、明星、興国、PL学園、大阪桐蔭に続く大阪6校目の夏優勝チームに加わった。

 岡田龍生監督(58)は1987年就任でチームを率い33年目での悲願達成。「何とも言えない気持ち。夢のようです。泣くことはないだろうと思ったが、涙が出てしまった」と感無量だった。

 就任当時は元陸上部、元卓球部、元体操部の3人を含む部員11人。「練習設備もないし、練習試合を申し込んでも履正社ってどこの会社ですかと言われた」というスタートだった。選手の可能性を高める熱心な指導で山田哲(ヤクルト)らプロ野球選手を輩出し強豪の一角に数えられたが、2度の選抜準優勝にとどまっていた。「菅野(巨人)が投げると思って行け。菅野やったら打てへんかってもしゃあないやろ」。試合前の一言が奥川攻略への力みを取った。

 今年はトレーニングを変えた。冬に取り組む筋力トレを「せっかく上げた数値が下がる。鍛えた意味が薄れる」と訴えたトレーナー陣の意見を受け入れ、強化を継続したことが甲子園での猛打につながった。選抜で完璧に抑えられた奥川を倒しての全国制覇に「奥川君にチームを大きくしてもらった」と振り返った。

 「卒業生、保護者、家族の協力のおかげで日本一を獲れた。ここまでやってきたかいがあった」。元女子プロ野球選手だった母・静子さんとのキャッチボールから始まった野球人生が、一つの到達点を迎えた。

 ▼岡田 龍生(おかだ・たつお)1961年(昭36)5月18日生まれ、大阪府出身の58歳。内野手としてプレーし、東洋大姫路では主将を務め79年選抜4強。日体大―鷺宮製作所でプレー後、桜宮(大阪)コーチを経て87年から現職。保健体育科教諭。

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