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ソフトボール連覇!上野伝説 金で完結 13年分の思い「1番」ポーズ再び

[ 2021年7月28日 05:30 ]

東京五輪第5日 ソフトボール決勝   日本2ー0米国 ( 2021年7月27日    横浜 )

<日本・米国>金メダル獲得に喜びを爆発させる上野(右から3人目)ら日本ナイン(撮影・北條 貴史)
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 決勝が横浜スタジアムで行われ、日本は米国を2―0で下し、前回実施された08年北京五輪に続く金メダルを獲得した。エース上野由岐子(39=ビックカメラ高崎)が先発し、6回途中から後藤希友(みう、20=トヨタ自動車)の救援を仰いだものの、7回は再びマウンドに上がる無失点リレーで13年ぶりの“胴上げ投手”になった。ソフトボールは今回、野球とともに追加され、24年パリ五輪で実施競技から外れることが決まっている。

 13年前と同じ光景だ。夜空に人さし指を突き立てナインが内野に集まった。中心に上野がいるのも同じ。無観客の横浜スタジアムに喜びの声が響く。日本が再び頂点に立った。

 「このマウンドに立つために、13年間、いろんな思いをしてきた。投げられなくなるまで、絶対に投げてやると。そういう思いでマウンドに立ちました」

 台風の影響はなかったが、初回は嵐だった。1死から2番リードに三塁打。3番チデスターの振り逃げで本塁クロスプレー。間一髪でアウトにしたものの、この後の暴投と捕逸で冷や汗をかいた。

 北京五輪で投げ合ったオスターマンが2回終了で降板したのに対し、日本のエースは回を追うごとに安定。4回の渥美、5回の藤田の適時打も心強かった。6回の先頭を出して後藤に一度託し、リエントリー制度で最終回に再登板。3人斬りで金メダルを決めた。

 08年北京五輪後、心にぽっかりと穴が開いた。決勝までの2日間3試合を一人で投げ抜いたあの「413球」の一方で、競技は次のロンドン五輪から除外になることが決まっていた。燃え尽きた。新しい人生を探した。

 北京の熱狂から数カ月後、通信制の大学のパンフレットを取り寄せていた。先生になろうと考えていた。九州女高(現福岡大若葉)3年時、実業団から引く手あまたの中、最後まで大学進学にこだわったのは、教員免許を取りたいからだった。子供を教えることが昔から好きだった。

 しかし、周囲の状況が、夢を追うことを許さなかった。人気と競技普及の期待を一身に背負った。14年に「引退を覚悟した」ほどの左膝の痛みに苦しんでも、チームに、リーグに、日本代表に求められていると感じ、やめるとは言えなかった。

 中ぶらりんの気持ちは19年に固まった。4月、リーグ戦で打球を顎に受けた。骨折、手術、入院。流動食生活で5キロも体重が落ちた。大ケガで気付いた。

 「周囲が五輪とはやし立てるけど、自分の中では全然盛り上がっていなかった。ソフトがつまらなかった。マンネリ化していた。ケガをすべくしてしたと思う。あのピッチャーライナーで本気で向かわないといけないと、神様が教えてくれた」

 重傷からの復帰は簡単ではなかったが、驚異的な練習量で体をつくり上げた。13年前より変化球の種類を増やして臨んだ。

 大会通算で計389球を投げた。今回は一度も完投がなかったものの、三振ショーを繰り広げた。「諦めなければ夢がかなうことをたくさんの方々に伝えられたと思う。また諦めることなく、しっかり前に進んでいけたら」。24年パリ大会でまた五輪から除外される。いつ復帰できるか分からない険しい道を、再び歩む。

 《08年北京五輪VTR》ページシステムによる決勝トーナメントで日本は、8月20日の準決勝で米国に1―4で黒星を喫したが、同日の3位決定戦でオーストラリアに延長12回4―3とサヨナラ勝利し、決勝進出。翌21日に金メダルを懸けて再び米国と激突した。試合は3回に狩野の適時打で先制。4回には山田のソロが飛び出し、7回にも1点を加えた。投げてはエースの上野が5安打1失点の完投勝利。上野は準決勝から、この2日間の3試合を一人で投げ抜き、計413球の熱投で日本に金メダルをもたらした。

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