金メダルの新井千鶴 悔しさの連続だった柔道人生 何度も立ち上がり、見事に東京で花開いた

[ 2021年7月28日 20:36 ]

東京五輪第6日 柔道女子70キロ級 ( 2021年7月28日    日本武道館 )

<柔道女子70キロ級決勝>金メダルを獲得しガッツポーズを見せる新井(撮影・会津 智海)
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 柔道女子70キロ級の新井千鶴(27=三井住友海上)が、決勝でポレレス(オーストリア)を破り、金メダルを獲得した。同階級では、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した田知本遥に続く日本勢の連覇となった。

 決勝は1分8秒に小外刈りで技ありを奪い、試合を優位に進めた。そして、最後まで落ち着いて攻め続け、相手に反撃のチャンスを与えず、優勢勝ち。金メダルが決定すると、「うれしいです。その一言です」と話し、新井の顔から自然と笑みが漏れた。

 だが、支えてくれた家族の話になると、何度も言葉に詰まった。「本当に家族が一番の味方ですし、どんな時も千鶴は強いと言い続けてくれたので、両親、兄をはじめ、たくさんの方に感謝の気持ちでいっぱいです」。リオ五輪は代表落ちし、精神的にも苦しんだ過去を、家族が支えてくれた。感謝の気持ちだった。

 新井の柔道人生は悔しさの連続だった。児玉高校時代に高1で57キロ級、高2で63キロ級、そして高3で現在の70キロ級に転向。原因は当時、63キロ級のライバル選手が埼玉栄におり、ほとんど負けていたことによるものだ。そこで児玉高校の柏又監督から70キロ級に転向することを勧められた。同監督は「階級を上げる相談をしている時“逃げるようで嫌”というイメージを持ったと思う。ずいぶん話をした」と説得。新井は階級の転向を受け入れた。成長するためだ、と心に刻んだ。10年前の決断がなければ今回の結果はなかった。

 5年前には田知本遥との五輪代表争いに敗れ、ライバルはリオで金メダルを獲得する悔しさも味わった。新井が東京五輪代表を決めた際には「出られなかった悔しさがあるから(現役を)続けてきていると思っている。もう二度と悔しい思いをしたくない」と人一倍強かった五輪への思いが報われた瞬間だった。五輪前最後の大会では海外選手に敗れて銅メダルだった。新井は「プラスに捉えたい。足りない部分をしっかり詰めていきたい」と、努めて前向きに捉えた。

 全ては東京五輪の「金」につながっていた。「悔しさ」という栄養分を受けた花は美しく咲いた。

 ◆新井 千鶴(あらい・ちづる)1993年(平5)11月1日生まれ、埼玉県寄居町出身の26歳。地元の男衾クラブで小1から柔道を始め、児玉高3年でインターハイ初出場初優勝。12年4月に三井住友海上に入社。13年のGS東京大会でシニアの国際大会初優勝。世界選手権は初出場の15年は5位、17、18年は優勝、19年は3回戦敗退。左組み。得意技は内股。1メートル72。

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