カノア プランうまくいかず「悔しい」銀、次回パリで雪辱へ「明日から準備する」

[ 2021年7月28日 05:30 ]

東京五輪第5日 サーフィン男子決勝 ( 2021年7月27日    釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ )

<サーフィン>男子決勝戦、豪快にスプレーを飛ばす五十嵐(撮影・会津 智海)
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 新競技の初代チャンピオンを目指した男子の五十嵐カノア(23=木下グループ)は、決勝でプロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)19年総合王者のイタロ・フェヘイラ(27=ブラジル)に惜しくも敗れたが、銀メダルを獲得した。日本人両親の元、米国で生まれ育ち、18年に日本国籍を選択。“母国”の海岸に日の丸をはためかせた。また女子は都筑有夢路(あむろ、20)が銅メダルを獲得した。

 5年間、毎日意識してきた金メダルを逃し、五十嵐は涙を流して悔しがった。その姿は、海水で色の落ちたワイルドな髪形と、適度に引き締まった体躯(たいく)で数々のスポンサーの支援を受け、ファッション雑誌のモデルも務める五十嵐のイメージからはほど遠かった。「プランがうまくいかず自分に(高得点を出す)チャンスをつくれなかった。悔しい」。CTで敗れても見せない表情を浮かべ、決勝の35分間を振り返った。

 準決勝では5本目にど派手な空中技で9・33点のエクセレントスコア(8~10点)を叩き出し、14、18年CT年間王者のメジナ(ブラジル)を圧倒。決勝も同じサーフィン大国の第一人者との対戦となったが、台風8号の影響で気まぐれな海況を読み切れなかった。「イタロはもう少し右(南)だった。変更すれば良かった」と後悔も残ったが、「それがサーフィン」と認めた。「今日は一生忘れられない日。勝ちたかったのはあるが、メダルを獲れて凄くうれしい」と笑顔も見せた。

 サーフィンを始めた頃は、五輪に出られるとは夢にも思っていなかった。16年に追加競技に決定し、熟考の末に日の丸を背負うことを決めた。拠点は今も米ハンティントンビーチ。日本人としての意識は希薄になりがちだが、コロナ下の1年間は両親と日本語で積極的に会話。以前はネーティブな発音で「“ゴールドメダル”を獲りたい」と言っていたが、この日は何度も「金メダル」という言葉を選択した。

 サーファーとして競技成績を残すことはもちろん、日本でもメジャースポーツにすることに心を砕く。当初は予定していなかった23日の開会式に出席し、金メダリストになったスケボーの堀米雄斗やバスケットの八村塁とのツーショットをSNSで発信。「カノアを見てサーフィンがしたくなったと、一人でも多くの人が言ってくれたらうれしい。それはメダルよりもうれしい」と語った。

 早くも3年後に迫るパリ五輪でも実施されることが決定済みのサーフィン。28年には“地元”ロサンゼルスでも五輪が開かれ、3大会連続の採用は確実だ。「パリもある。明日から準備をする」と五十嵐。日出(い)ずる国のサーファーとして、これからもサーフシーンをリードする。

 【五十嵐 カノア(いがらし・かのあ)】

 ☆生まれとサイズ 1997年(平9)10月1日生まれ、米カリフォルニア州出身の23歳。1メートル80、77キロ。

 ☆家族 父・ツトムさん、母・美佐子さん、弟・キアヌさん。カノアはハワイ語で「自由」。

 ☆競技歴と実績 本場の米カリフォルニアに移住した元サーファーの両親から英才教育を受け、3歳から波に乗る。9歳で米国のアマチュアチームの強化選手に選出。12歳で全米アマチュアサーフィン連盟主催試合で30勝を挙げて最多優勝記録を塗り替え、13歳でプロ転向。16年からCTに参戦し、19年5月の第3戦で日本人初優勝。

 ☆語学 日本語のほか、英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語を操るマルチリンガル。

 ☆国籍 米国と日本の二重国籍。競技者としては18年4月に米国から日本への国籍登録変更が認められ、日本協会の18年度強化指定選手に選出。

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