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【だから元気!】62歳・片岡鶴太郎 朝活7時間、一日一膳「125歳まで生きたい」

[ 2017年5月5日 12:00 ]

ポーズをとる片岡鶴太郎
Photo By スポニチ

 お笑いタレント、俳優、芸術家…さまざまな顔を持つ片岡鶴太郎(62)は、還暦を過ぎたとは思えないほど活力に満ちあふれている。かつてバラエティーで活躍していた時代とは一変したスリムな体形。元気の秘けつは毎朝出かける前に7時間かけて行うルーティンで、食事は朝食だけの“一日一膳”生活。「変人ですよ」と笑いつつ「125歳まで生きる」ことが目標だ。

 体重は今、45キロくらいですね。ピークはバラエティー番組を多くやっていた若いころで65キロ。ポチャッとして、肉体もバラエティー仕様でした(笑い)。

 33歳でボクシングのプロライセンスを取ったんですが、そのときに1年間で15キロ絞りました。それをキープし続けて、今の状態になったのは5年ほど前からやっているヨガのおかげでしょうか。日々の鍛錬で体幹とかが鍛えられ、呼吸法で体内が浄化していきますから、かなり肉体的にはシェイプされますね。

 毎朝のルーティンは全部で7時間かかります。ヨガの呼吸法から、ヨガのポーズの体操、瞑想(めいそう)などをやって、朝食を2時間かけて食べ、シャワーを浴びて身支度する。もうそれで7時間なんですよ。今日は午前8時すぎの出発でしたから、午前1時に起きました。前の日の仕事が遅くなったら、睡眠時間は減ります。睡眠1時間とか、30分の日もあります。それでもルーティンはやります。その方が体調がいい。一日も休んだことはないです。

 ヨガの段取りを組んでいくと1、2時間じゃすまない。3、4時間かなと思ってたら、だんだん時間が延びていく。呼吸法も途中で止めたりするもんですから、その止める時間がだんだん長くなって、体ができてくると回数も多くなっていく。それが6時間になり、もう半年たったら7時間になりましたね。だから、これからもっと延びると思います。もう変人ですよ(笑い)。8時間になっちゃったら、もうヒマラヤ修行に行かなきゃいけないですね。最近、鶴太郎いないなって思ったら、ヒマラヤにいると思ってください(笑い)。

 朝食に2時間かかるのは、品数もけっこう多いですから。きょうは大根のステーキ、キャベツやネギの炒めたもの、カブと菜の花の煮物、きんぴらごぼう、納豆とか、10種類以上ありましたか。果物も5、6種類くらい、お皿に山盛り。ごはんは玄米です。

 食事は朝の一食だけ。消化しきって寝ます。体の疲れをとるのは内臓から。すきっ腹で寝て、内臓を休ませてあげるっていう考え方なんです。だから朝、起きるのが凄い楽しみ。もう待ち切れないくらい。ただ、実際に食べるのは、起きてから5時間後くらいですけどね(笑い)。それでも、すきっ腹でヨガをやるもんですから、物凄く内臓も鍛えられてますし、おいしく食べられる。この朝食にかなう食事はないです。

 仕事を終えてから仲間と飲みに行くっていうのは今はほとんどない。若いころは飲んで、食べて、遊んで。で、仕上がった体があれですから。もう、あそこには戻りたくないですね(笑い)。

 ヨガを始めたのは、もともと瞑想に興味があったから。私が気になる人の文献を見ていくと、みんな瞑想をやっているんですよ。ブッダや空海、ビートルズ。だから、瞑想っていうのはどういうものなのか体験したいと思った。それで人体実験に入ったんですよ。

 今後も基本的には今の生活ペースを続けていくと思います。年を取っても絵を描いたり、芝居、お笑いもやっていたい。それには肉体も精神も健全で健康でなければならない。そのための下準備、日々の業です。

 生涯現役!125歳くらいまでは生きたい。いけると思ってますよ。還暦になってまだ2年ですから、あと60年ある。まだ折り返し。これからなんです。だから忙しいんですよ、やることいっぱいあって(笑い)。

 《文筆、俳優、画家 多才ぶりは健在》鶴太郎のマルチぶりは今年も健在だ。4月には自身の半生記ともいえる著書「50代から本気で遊べば人生は愉(たの)しくなる」(SBクリエイティブ、写真)を出版。俳優業では主演ドラマとしてシリーズ化されているTBS系月曜名作劇場「温泉殺人事件3 修善寺温泉殺人事件」(月曜後8・00)が6月12日に放送予定だ。画家としても、片岡鶴太郎展「信濃の四季」が信州高遠美術館(長野県伊那市)で21日まで、同「還暦紅」が高知県立美術館(高知市)で28日まで開催中。また、10月からは同「四季彩花」が金沢21世紀美術館(石川県金沢市)で開催予定となっている。

 ◆片岡 鶴太郎(かたおか・つるたろう)1954年(昭29)12月21日生まれ、東京都荒川区出身の62歳。高校卒業後に声帯模写の片岡鶴八に弟子入り。東宝名人会、浅草演芸場出演を経て77年ごろからテレビに進出。フジテレビ「オレたちひょうきん族」でブレーク。その後、俳優として多くのドラマに出演し、映画「異人たちの夏」(88年公開)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。88年にプロボクシングのライセンスを取得。画家、書家としても活動し2015年3月には書の芥川賞といわれる「手島右卿賞」を受賞。血液型O。

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