「自分たちだけの甲子園」を目指した高田高校 石碑に刻まれた「1イニングの貸し」

[ 2020年8月20日 08:30 ]

7月13日の岩手大会花北青雲戦の1回、先制点を取り、喜ぶ高田ナイン
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 コロナ禍により、夏の甲子園大会が中止となった特別な夏。「自分たちだけの甲子園」を目指した県立高校が、あと2勝で涙を飲んだ。11年3月に起きた東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市の高田高校だ。今夏の代替大会では25年ぶりの4強進出を果たしたが、準決勝の一関学院戦で延長13回タイブレークの死闘の末、サヨナラ負けを喫した。

 「自分たちだけの甲子園」は佐々木雄洋監督の発案だった。5月20日に夏の甲子園大会の中止が決定。佐々木監督が「自分の気持ちと向き合え」と話すと、涙を流す選手もいた。毎日、提出させている個々のノートには「切り替えられない」という言葉も並んでいたが、翌日に「優勝したら、甲子園見学に行こう」と選手たちと約束。「よっしゃ、やるぞ!」と無くなったはずの聖地を目指す戦いがリスタートした。

 現3年生が入学した18年4月、専用グラウンドには仮設住宅が建っており、練習場所は車で40分離れた大船度市内の仮校舎グラウンドだった。昨年2月に仮設住居が撤去され、自校グラウンドでの練習が可能に。95年から母校でコーチを務める伊藤新(あらた)さんは「きょうから使っていいよ」と言ったら「グラウンドに降りて走り回っていましたね」と懐かしそうに振り返った。

 昨冬は例年に比べて雪が少なく、練習もはかどった。昨秋は県1回戦で花巻東に1―15で大敗していたが、「こんなに変わるのかと。技術的にも面白いなと思った。へたすればチャンスはある。歴代で見ても、このチームはやってくれそうだなという雰囲気があった」と伊藤コーチも手応えを感じていた矢先、見えない敵に行く手を阻まれた。

 高田高校には「甲子園に1イニングの貸しがある」と刻まれた石碑がある。甲子園初出場を果たした88年夏、初戦の滝川二戦の8回に雨が激しさを増し、降雨コールドゲームで敗戦。その際、本紙に「甲子園の詩(うた)」を連載していた作詞家の故阿久悠さんが、「コールドゲーム」というタイトルで9回まで戦うことができなかった高田ナインの無念さを詩にしたものだ。震災で校舎は壊滅的な被害を受けたが、石碑は奇跡的にほぼ無傷で残った。

 3年生にとって最後の試合となった準決勝。124球の熱投実らず、中越えにサヨナラ打を浴びたエースの佐藤真尋(3年)は「自分たちの野球はできた。最後の最後に打たれて力不足。結果はベスト4で終わったけど、少しでも地元に喜びと感動は届けられたと思う」と胸を張った。

 試合後に涙した伊藤コーチは「震災からようやくここまで来れる力がついた」と選手たちを誇った。3年生12人が去り、マネジャーを含めた19人で再び聖地を目指す高田高校。「1イニングの貸し」を返すその日まで、その魂は受け継がれていく。(記者コラム・花里雄太)

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