大谷と単純比較はできない1918年のルース 死亡説、第1次世界大戦で短縮、ボロボロのボール…

[ 2022年8月10日 14:20 ]

ヤンキース時代のベーブ・ルース(AP)
Photo By AP

 レッドソックスのベーブ・ルースが13勝11本塁打で「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した1918年も、世界中で疫病が流行していたことはあまり知られていない。約5億人が感染し、5000万人が死亡したといわれるスペイン風邪。ルースも5月に感染し、19~29日は欠場している。当時はウイルスの正体が分からず、死亡説さえ出たほどだった。

 また、同年は第1次世界大戦の真っ最中だった。8月2日、MLBは9月1日でのシーズン打ち切りと、その時点での首位チームがワールドシリーズに進出すると発表。二刀流ではなく、打者転向を希望していたルースは、監督と起用法で衝突しながらも、ワールドシリーズに出るために最後の1カ月は投手としてフル回転し、8試合で6勝を挙げ、13勝をマークした。シーズンが短縮されたため、チームは126試合、ルースは95試合の出場ながら投打で奮闘し、世界一に導いた。

 ルースはこの年、11本で本塁打王に輝いた。大谷と比較すると大きな差があるが、当時は「デッド(飛ばない)ボール時代」。ボールはボロボロになるまで使うため、シーズン終盤になるにつれて反発力が弱まり、飛ばなくなる。実際、ルースは最後の2カ月で1本も本塁打を放っていない。「デッドボール時代」に終止符が打たれたのは1920年。この年、ヤンキースに移籍したルースは初めて50本の大台を超える54本塁打を記録し、国民的英雄となった。

続きを表示

2022年8月10日のニュース