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【内田雅也の追球】幸せを与え続けた阪神 V逸に刻んだ最多77勝 「点」を結んだ「線」で日本一へ

[ 2021年10月27日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0ー4中日 ( 2021年10月26日    甲子園 )

<神・中(25)>最終戦を終え、ファンに挨拶した阪神・矢野監督(撮影・北條 貴史)
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 阪神最後の打者、大山悠輔は遊ゴロに一塁まで全力で駆け抜けた。むなしい疾走だが、主将は最後まで自分たちの野球を貫く姿を示していた。

 毎年恒例の全日程終了あいさつは終戦のメッセージとなった。監督・矢野燿大は「皆さん」とファンに呼びかけ「最後まで戦っていただき――」と感謝を述べた。

 「戦って」である。熱狂的な猛虎党の経済評論家・国定浩一は「阪神ファンは観戦ではなく参戦」と言う。ファンとともに戦うのが阪神である。

 だからだろうか。この夜の甲子園は異様に静かだった。観衆発表1万921人。コロナ下で人数が制限されているからではない。ファンは最後の時を見守り、選手とともにもがき、苦しんでいたのだろう。

 序盤からヤクルトのリードが伝わっていた。敗れれば終戦の焦りもあったか。「甲子園の決勝のつもりで」と勇んだ糸原健斗の悪送球(チーム7試合ぶり失策)で先取点を献上。先発・青柳晃洋に好機で打席が回った2回裏、早々と代打を送った。坂本誠志郎の後逸(暴投振り逃げ)を起点に追加点を奪われた。焦りは募り、思いは空転した。悲しい零敗だった。

 今季最終戦、必勝の一戦で露呈した貧打や拙守、または用兵を取り上げて、V逸の象徴的試合だったと言うのは易い。だが、今季の阪神は、そう切り捨ててしまえない奮闘ではなかったか。

 何度も書いてきたが野球は人生に似ている。つらいことの繰り返しだ。

 それでも、いや、だからか。矢野は就任時に掲げた「誰かを喜ばせる」をより強く意識していた。コロナ禍が長引き「元気を感じてもらいたい」と戦ってきた。

 大リーグの名フロントマンとして知られるサンディ・アルダーソン(今はメッツ球団社長)が「極めてまれにしか笑うことはできない」と語っている。ロジャー・エンジェルの『球場(スタジアム)へ行こう』(東京書籍)にある。「悲しい話だが、どの試合を最後に勝てなくなってしまうのか、結局どの試合がシーズンの頂点だったのかは、決してわからないというのが現実なんだ。(中略)いつだって一寸先は闇なんだから」

 だから、矢野は笑わなく(笑えなく)なっていたのだろう。シーズンが進むにつれ、笑顔は消えていった。

 自身も出場した北京五輪の2008年には最大13ゲーム差を逆転され、巨人に優勝をさらわれている。「一寸先は闇」の恐怖はわかっていた。

 開幕から首位を快走、6月には2位ヤクルトに最大7ゲーム差をつけた。7月に入ると、五輪ムードのなか、本塁打を放った打者にベンチで金メダルを掛ける儀式も流行した。だからと言って浮かれていたわけではないだろう。油断があったと指摘できる材料はない。

 球宴・五輪明けも29勝23敗7分けと失速もさほどではない。猛追で逆転、勝者となったヤクルトをたたえるべきだろう。

 V逸の原因はいくらもある。しかし責任論よりもファンの声にある「最後まで夢を見させてもらった」に耳を傾けたい。

 映画『男はつらいよ 寅次郎物語』(1987年公開)で、寅さんが、おいの満男に「人間って何のために生きてんのかなあ?」と問われる。

 「難しいこと聞くなあ」としばし考えた寅さんが「ほら」と思いついて言うセリフがある。

 「あぁ、生きてて良かったなあっていう時が何べんかあるじゃない。そのために人間、生きてんじゃねえのか」

 「何べんか」なのだ。幸せを感じるのは時間軸で言えば「点」である。

 阪神は今季、最も多くの勝ち星をあげた。両リーグ最多の77勝。「点」の幸せを多く与えてきたわけだ。

 「新たな悔しさを胸に――」と矢野は言った。また挑戦が始まる。今度は「点」を「線」で結び、日本一へとつなげる戦いである。 =敬称略= (編集委員)

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