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12年前、僕は西条の秋山拓巳にねじ伏せられた…記者として“再戦”楽しみ

[ 2021年10月27日 07:00 ]

<09年3月24日 センバツ1回戦 西条・PL学園>初回、西条の先発・秋山拓巳VSPL学園の2番打者・石崎祥平 結果は送りバント失敗の三飛
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 「球児」の時には経験したことのない緊張の毎日を送っています。入社から7年半の営業現場を経て、10月から大阪・編集局の記者としてデビューしました。

 入社前までは野球一筋17年。読者の方への自己紹介もかねて簡単に“球歴”を紹介させてもらうと、6歳から兵庫・猪名川ヤンキース(軟式)で野球を始め、ヤングリーグ兵庫伊丹、PL学園、駒沢大学で白球を追ってきました。今、プロで活躍する選手とも何度か対戦。今回は、実際に衝撃を受けた、ある投手についてのお話させていただきます。

 PL学園時代の09年選抜大会。3日目第3試合で対戦したのが、当時“伊予ゴジラ”と呼ばれ、1メートル86・92キロの体格を生かし投打でプロ注目の選手だった、現阪神の秋山拓巳投手。愛媛・西条高校出身のエースで4番。秋の四国王者として聖地に乗り込んできました。

 初回無死一塁で、「2番・遊撃」で出場した記者に甲子園初打席が回ってきました。ベンチのサインは送りバント。結果は、初球の真ん中高めのボール球に押されて犠打失敗。三塁への飛球となり、痛恨の併殺打となりました…。

 この時の秋山が投じた1球。まさに格の違いを見せつけられました。試合には勝ったものの、直球の質が今までに体感したことのない重い直球で、チームの主軸が捉えた打球も飛んでいかないのを見たのは、あの時が初めてでした。球速は130キロ台がほとんどでも球威、球のキレ、球持ちの良さ、全ての項目が一流の好投手で、このような選手がプロの世界に行くんだなと当時、実感しました。

 その年のドラフト4位で阪神タイガースへ入団し、現役12年で48勝。ここ2年は防御率2点台と抜群の安定感を誇り、猛虎の投手陣には欠かせない存在です。当時と変わらない大きな存在の背番号46と今度は記者として“対峙”し読者の皆様に裏話をお届けします。(記者コラム・石崎 祥平)

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