「ヒデとロザンナ」ロザンナ ヒデさんとの結婚は「6年半おっかけまくったんですよ、私」「勝ち取ったぞ」

[ 2024年5月27日 15:45 ]

ロザンナと娘の万梨音。ロザンナ&万梨音インスタグラム(@rosanna.marion.rosemary)から

 歌手のロザンナ(73)が27日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。来日当初の生活や結婚について語った。

 1968年に後の夫となる出門英さん(90年死去)と「ヒデとロザンナ」を結成し、「愛の奇跡」などのヒットを生み出したロザンナは、この日は長女でタレントの万梨音と登場した。

 司会の黒柳徹子がヒデとロザンナのデビュー当時の映像を見ながら「この時ロザンナさん18歳。全く日本語が分からない。ヒデさんもイタリア語が話せないんだけど、ボンジョルノっていうのが完璧だったんだって」と話を振ると、ロザンナは「一番最初に会った時に“ボンジョルノ!”って言ってくれたから、これはいいやと思ったら、それだけしかしゃべんない」と笑ってみせた。

 「最期まで。まあちょっとぐらいしゃべった。イタリアなんか行くと」とも話すと、万梨音は「全然イタリア語分からないのに、電話とか平気で出ちゃって。“あーロザンナ、トイレッタ?”とか適当なこと言って。全然しゃべっちゃうんですよ。イタリアの人と」と明かした。

 ロザンナは来日当時は「私との会話はヒデだけしかできなかったの」と語り、「頭良かったんですよ、彼。たぶん私の能力はここまでしかしゃべれないから、できないからって凄い単純な単語でしゃべってくれたから通じるんですよ」と感謝した。

 来日のきっかけは「私のママの弟2人いたんですけど、おじさん。彼らがイタリアのバンドをやっていて、東京オリンピックの時に東京に呼ばれて来て、3年後に女の子入れたらどう?っていう案があって。で、私たまたま歌ってたんでね、イタリアで」とアマチュアバンドで歌っていたためおじたちから誘われたためだとした。

 最初は「半年くらいだったらいいかな」と思って日本に来たものの「まだいるんです」とロザンナ。デビュー当初は木造アパートに住んでいたと言われると、「おじさんが借りてたアパートに一番最初に入った時にどこだこりゃ、と思って」と振り返った。

 イタリアでは決して裕福な家庭ではなかったとしながらも「うちの床は大理石だし、お風呂は蛇口をひねればお湯が出るし」と言い、「日本はなんだかわらみたいな床だし、お風呂はなんか木のなんかおけみたいな。時代劇でしか見たことないけど、棺おけみたいな、木の。あのまんまの物がここにあって、何するのかなって言ったらこれお風呂だって言うんですよ。で、どうやって入るの?って言ったら下から火をつけてあっためるんだって言って。木のお風呂なのに火つけて燃えないのって言って不思議だったんですけど」と回顧した。

 そのうち好きになったかと言われると、「いやあやっぱり木のぬくもりが良くて。良かったです」と目を細めた。

 黒柳が「そうしてヒデさんと出会ってですね、一緒に歌うようになって、それで仲良くなって」と続けると、ロザンナは「6年半おっかけまくったんですよ、私」とぶっちゃけ。

 「最終的に結婚していただきましたけど、“はい、あなたたち夫婦となりました”って(言われた時に)“ざまあみろ”と思って。悪い意味じゃなくて、勝ち取ったぞと思って」と笑顔を見せた。

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