日本ハム新球場 構想は13年前に一度幻に終わるも…エスコン仕掛け人が語る開場の舞台裏

[ 2023年3月31日 06:00 ]

エスコンフィールド北海道でポーズをとる前沢賢氏
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 日本ハムの新球場構想が表面化したのは16年3月。2年後の18年3月に移転先が北海道北広島市に決定したが、実は13年前に新球場構想を一時断念していた過去があった。新球場構想の仕掛け人で、同プロジェクトを率いた「ファイターズスポーツ&エンターテイメント」の前沢賢取締役事業統轄本部長(48)が、開業までの経緯と裏側を明かした。

 日本ハムの新スタジアムを中心としたスポーツ都市構想。一度は諦めかけた。13年の月日を経て、新球場エスコンフィールド北海道が開業。前沢氏は感慨を込めて「あの頃プロジェクトを立ち上げたら、できなかったかもしれない」と語った。

 社内で新球場構想がスタートしたのは、表面化する1年前の15年。実は、その5年前から構想の原案は生まれていた。10年夏に前沢氏は三谷仁志氏(現取締役事業統轄副本部長)と、球場を中心にしたボールパーク構想を会社に持ちかけた。

 球団の未来を考えての提案にも、回答は「時期尚早」。構想は宙に浮いたまま前沢氏は同年末に退社し、翌11年からパ・リーグのマーケティング会社やDeNAなどスポーツビジネスの世界で活躍した。ただ、古巣のことは常に頭にあった。

 再燃したのは15年。当時の島田利正球団代表(現日本女子ソフトボール機構チェアマン)から声がかかった。事業の再建と、新球場構想の先導役の要請。「会社が嫌で辞めたわけではなかった。気になっていたのは事実だし、気になり続けるのは健全ではない」。同年に復帰を決めた。

 「一回辞めている人間。どう思われるか」と不安もあった。背中を押してくれたのは島田氏。当時の吉村浩GM(現常務取締役)からは「好きな球場を造っていいよ」と後押しされ「支えられているというのを感じた。これを一人でやろうとしたら失敗していたと思うし、間違いなくまだ球場はできていなかったと思う」と話した。

 そう思えるのも一度会社を離れ、違う世界を経験したから。「30歳の時は自分一人で何でもできると思っていた。でも、物事を突き進めていくと一人ではできないことが多いと気づけた」。そして「時期尚早というのは会社にとっても、推進していく我々に対しても時期尚早だったんだな」と振り返る。

 ここがゴールではない。「プロスポーツは必ず、チームの強さと比例して事業もつり上がっていくもの。新球場はその中間にいる。今は新球場が先行しているので、チームも事業も追いつかないといけない」。新球場とともに歩む、明るい未来を思い描いた。(清藤 駿太)

【新球場アラカルト】

 ☆フィールド 両翼非対称型で右翼100メートル、左翼98メートル。右中間は特に膨らみが少なく、左打者に有利とされる。観客の臨場感を重視してファウルゾーンは狭く、本塁からバックネットまでの距離は約15メートル。

 ☆開閉式屋根 重量1万800トンの屋根が付けられ、130メートルの長さを25分間で開け閉めできる。開閉式屋根のある天然芝球場は日本初。

 ☆ガラス壁 中堅後方にそびえ、高さは最大70メートル。屋根を閉めても自然光が差し込む。

 ☆天然芝 寒冷地に適したケンタッキーブルーグラスを採用。2年半かけて育て、内外野に敷き詰められた。

 ☆照明 LED照明器具354台が、選手がまぶしさを感じにくい試合に最適な環境をつくる。映像、音響と連動した演出も可能。

 ☆ブルペン 両翼ポール際に設けられた。観客は、救援投手の試合中の調整を間近で見ることができる。

 ☆TOWER11 左翼席後方にあり、ホテルやサウナ・温浴施設が入る。入り口付近の外壁には球団OBのダルビッシュと大谷の壁画が描かれている。

 ☆そらとしば バックスクリーンの上部にあるシート。球場内で醸造されたクラフトビールを楽しめる。

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2023年3月31日のニュース