【内田雅也の追球】屈辱にも感謝する 苦いデビューの井上、苦境の3位転落の阪神に必要な姿勢

[ 2020年10月15日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-3中日 ( 2020年10月14日    ナゴヤドーム )

74年10月14日、引退試合後にグラウンドであいさつする巨人・長嶋茂雄=後楽園球場

 10月14日になると思い出す。秋の夕日を受け、バスは清水寺への坂道を上っていた。もう、そろそろだ……終わってしまうぞ……。たまらず、バスガイドのお姉さんに頼んだ。

 「ラジオ、つけてください!」

 1974(昭和49)年、長嶋茂雄引退の日である。小学校の修学旅行だった。われら6年3組の男子、いや女子や長嶋と同年代だった担任の男性教諭も最後の日が気になっていた。

 車内にラジオ中継が流れると「サード! サード!」の大合唱が聞こえてきた。9回表、最後の守りだった。道は渋滞していた。「巨人軍は永久に不滅です」のスピーチも車内で聞いた。

 そんな国民的スターもデビューは4打席4三振だったと多くの級友が知っていた。後の400勝左腕、国鉄(現ヤクルト)。金田正一にきりきり舞いさせられた。

 その夜、長嶋は眠れなかったそうだ。<悔しさと恥ずかしさがこみ上げて何度もガバッと布団をはねのけ、闇の中でバットを振った>。2009年に出した著書、その名も『野球は人生そのものだ』(日本経済新聞出版社)にある。

 そう、野球は人生に似る。失敗が多く、山あり谷ありだ。

 この夜、阪神の大型新人、井上広大が1軍デビューを果たした。昨年夏の甲子園大会で優勝した履正社の4番。将来の4番候補である。

 当代随一の左腕、大野雄大に変化球を3球とも空振りして三振。速球に一ゴロ。3球三振。トップレベルの力を感じたことだろう。この経験をどう生かすかだ。今後の姿勢にかかっている。

 チームも同じである。大野雄に2試合続けて完封を許した。3位に転落した。4位DeNAも1ゲーム差に迫っている。苦しい時である。

 思い出したい。監督・矢野燿大は新型コロナウイルスの影響で開幕が延期、活動自粛となった今春3月末、YouTubeの球団公式チャンネルでお勧めの本を紹介した。なかに喜多川泰『運転者』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)があった。

 不運を嘆く主人公が不思議なタクシー運転手と出会う。その言葉は警句に満ちている。

 「人生にとって何がプラスで何がマイナスかなんて、それが起こっている時には誰にも分かりませんよ。どんなことが起こっても自分の人生において必要だった大切な経験にしていくこと、それが“生きる”ってことです」

 野球も人生と同じである。矢野は、そして阪神は経験として受けいれることだ。

 長嶋はどうしたか。<プロでも楽にやれるというムードを吹き飛ばしてくれたのだから、金田さんには感謝しかない>。屈辱にも感謝した。

 それが生きるということ、つまり人生、そして野球ではないだろうか。=敬称略=(編集委員)

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2020年10月15日のニュース