29日引退試合のオリ岸田 練習と試行錯誤重ね「ただただ、もう一度、良い球を」

[ 2019年9月25日 08:30 ]

24日、誰もいない舞洲のブルペンで、オリックスの岸田は黙々と投球練習をした
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 9月23日、オリックスのウエスタン・リーグ全日程が終了した。翌24日、2軍は休養日。普通、こんな日に朝から練習に来る選手はいない。そう、1人を除いては――。

 午前9時、静寂を破るように舞洲の練習場に現れた男がいた。ランニングで汗だくになり、ほぐれた体で向かった先はブルペンだ。誰もいないマウンドで、18・44メートル先のネットに向かって投球練習を開始した。動き出しのフォームや歩幅、体重移動…、細かく確認しながらじっくりと50球ほど投げる。何もこんな日に思うが“何で練習に来たのか”野暮ったい質問をぶつけると、岸田護はこう答えた。

 「最後、登録されるのでね。そのためですよ」

 20日に引退会見を開き、29日のソフトバンク戦が引退試合となった。現役生活を惜しむ気持ちもあるだろう。しかし、本当の理由はそうではない気がする。岸田にとって練習することは日課。リハビリもあったが、今季は一日として全日休養に充てた日はない。会見後、2軍練習に入って良いのか気兼ねしたそうで、足りない練習を補うため、普段通りに休日返上したわけだ。

 岸田は06年にNTT西日本から大学社会人ドラフト3位で入団。盟友の平野佳寿とともに長年チームを支えてきた。いつだったか。彼と背番号18について話をしたことがある。いわゆるエースナンバーだ。

 「ぼくね、アマチュア時代にエースナンバーって付けたことないんですよ。いつも春先はダメでね。夏になると体が動くようになって、直球のキレも出てくるんですけど、春はダメだから、なかなかエースナンバーに縁がなくて」

 春は不思議とエンジンが掛からない。プロになっても、そんな悩みを抱えていた。その反省から、数年前の春季キャンプ第1クール中に、フリー打撃登板を行ったことがある。通常、第1クールに投げるのは、アピールしないといけない2、3年目くらいの若手投手だ。かなりのベテラン、しかも複数年契約を結ぶような投手が投げるのは珍しい光景だ。しかし岸田は「どうやったら、春から球のキレが出るか、試したいんですよ」と真顔だった。練習、工夫、試行錯誤…。彼のスタイル、生き方と言えるかもしれない。

 だからこそ、2010年からの10年間、「オリックスの18」を背負ってくれたことが私もうれしい。今どき流行らない話かもしれないが、エースナンバーはチームを象徴する番号だ。岸田が黙々と練習する背中を、みんなが見てきたわけだから。やっぱり、オリックスにはそういうチームになってほしい。ピッタリの適任者が背負っていたと個人的には思っている。

 練習が一段落するのを待って、プロ14年間の思い出を振り返ってもらった。

 「悔しかった思い出はケガが多かったことですね。頑張ればケガをする。元々、そんなに体に力があるタイプでもなく、頑丈でもなかった。アスリートとして劣っている部分はプロに入る前から分かっていましたから。練習しないとプロではやっていけない。それだけなんですよ。親に感謝しているのは、柔軟性だけはあったこと。それをどういかすか。どうやったら良い球を投げられるか。考えることが当たり前になりました。何もしなかったら、プロの1軍で投げられなかった」

 やはり、練習と試行錯誤。行き着くところは同じだった。

 今季は春季キャンプ中に腰痛を発症した。元々、首を傾ける独特の投球フォーム。腰の他にも首や内転筋を痛め、フォーム改善を余儀なくされた。4月には2軍で何度かシート打撃に登板したのを見に行ったが、浮かない表情だった。肘を下げたり、球を動かしたり、いわゆる技巧派に転向することを考えつつも、ピッチングの基本=直球のキレについては悩んでいた。結局、秋まで試行錯誤は続いたが、残念ながら全盛期には戻らなかった。

 9月のある日。もう引退を決意していたと思う頃、彼は「ただただ、もう一度、良い球を投げたい。今はそれだけです」と言っていたのが印象的だった。最後の最後まで練習を繰り返し、成長したいという純粋な思いだろう。

 29日に一体、どんな球を投げるだろうか。ぜひ、納得のいく球を投げてほしい。それだけの練習をしてきたのだから。(オリックス担当・鶴崎 唯史)

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