【西武・中村剛也 独占手記】リーグトップ123打点 来た球をシンプルに打つという発想に変わった

[ 2019年9月25日 09:30 ]

パ・リーグ   西武12―4ロッテ ( 2019年9月24日    ZOZOマリン )

優勝し、ファンの声援に応える中村(撮影・木村 揚輔)
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 最後9回2死からファウルフライが飛んできた。よっしゃキターと思ったんですけど、思いの外スピードに乗りすぎていたみたいですね。行きすぎて捕れなかったけど、でも最後は三振の方が格好いいかなって(笑い)。

 今年は、ほぼ1年できた。最後の方は打撃が思うようにできなかったけど、途中はしっかり貢献できたかな。目標だった通算400号も打てたし、成績もそれなりに残すことができた。開幕は8番からスタート。7番や5番を打って、8月中旬からは4番も打った。

 ただ、打順は関係ないと思っている。4番だったら、打席が早く回ってくるってだけ。何番を打っても、だいたい森が僕の前を打っていて、チャンスで回してくれた。走者がいる打席が多かったので、本当にやりがいを感じながらできた一年だった。120打点以上取れたのも、みんなが僕にばかりチャンスを回してくれたから。本当に感謝している。

 昔はチャンスでホームランを打ちたかったし、誰にも数で負けたくなかった。けど、今は山川とかが僕より打つ。きばって本塁打を狙うより、来た球をシンプルに打つ発想に変わった。去年、不振でどん底だった時くらいから、打席で余計なことを考えなくなった。点を取ろうとかランナーを還そうとか思わず、シンプルに来た球を振る。120打点以上取れたのはこれからの野球人生の自信にもなるし、追い求めていける。ただホームランを打ちたいという気持ちは持ち続けている。今年は無理だったけど、どこかで挑戦したい。

 今年で36歳。キャンプ、オープン戦から体の状態はあまり良くなくて、初めはあんま良くなかったけど、開幕してすぐに腰の張りで休めたのはプラスの面で大きかった。若いときに比べたら体が重い日も多い。こまめにマッサージを受け、なんとかケガをしないようにできた。そういえば、打撃の調子が上がらない中で、交流戦前くらいから練習前にランニングをするようになった。最初はアップがてら走ってた程度だけど、徐々に習慣化して、体を温めて試合に臨むことができた。始めはポールからセンター6本。打てなくて4タコしたら、(翌日に)プラス4本とか走った。走るのは嫌いだけどね。やって良かった。

 家族にも本当に感謝している。子供たち(10歳の長男と、7歳の次男)も野球をやっている。僕が子供の試合のビデオを見て「あれ打てよ」と言うと「だってパパだって打たないじゃん」って言われる。通算400号を打った時は、子供たちは寝ていたかな。でも毎日のように「早く打てよ」と言ってくれていた。僕は凄いお父さんでありたい。去年は前半あかんくて、後半何とか貢献した形だったけど、今年は去年より打って優勝できた。ちょっと自慢しようかな。「どうだ!」ってね。妻(麻里恵夫人)にも400号の前にリュックをプレゼントしてもらった。家族は僕の原動力になっている。

 去年はCSで負けて凄い悔しかった。僕とクリ(栗山)は日本一を知っている。日本シリーズは凄い緊張感の中できるし、そこで勝てたらうれしいし、日本一になりたい。辻監督も昨年に「悔しいです!」って言っていたでしょ。今年はうれしい思いをして、最後はみんなで、わーわー騒ぎたい。(西武ライオンズ内野手)

 ◆中村 剛也(なかむら・たけや)1983年(昭58)8月15日生まれ、大阪府大東市出身の36歳。大阪桐蔭3年夏、府大会で準優勝も清原和博(PL学園)の5本を抜く6本塁打を記録し、01年ドラフト2巡目で西武入団。本塁打王6度は歴代3位。その他、ベストナイン6度、打点王に3度輝き、通算満塁本塁打20本はプロ野球記録。1メートル75、102キロ、右投げ右打ち。

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