平泉成 カメラとかなえた人生の夢 写真館の店主役で映画初主演「生きて感じた経験注げる」

[ 2024年5月31日 05:00 ]

カメラを手に笑顔の平泉成(撮影・木村 揚輔)

 著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は父親や刑事、国会議員などを演じさせたらピカイチの俳優、平泉成さん(79)です。人生100年時代。現役を続けるため、野菜多めの食生活、ストレスをためない日常を大切にしています。10代の時に見いだしてくれた市川雷蔵さんは恩人。37歳で旅立った雷蔵さんに「報告したいこと」を教えてくれました。(構成・西村 綾乃)

 100歳まで俳優を続けたい。暴飲暴食はせず、血糖値が高いと言われた3年ほど前から、かつお節をかけたオニオンスライスを毎朝食べています。野菜は毎食欠かしません。日常ではストレスをためないこと。テレビを見てダメ出しをしたり、大リーグの大谷翔平くんが打ってくれるとスカッとするよね。

 今、力を入れて育てているのはバラです。小さな花をいくつも咲かせる愛らしいもの、花びらが幾重にもなったゴージャスなもの。30種類以上が咲いてます。玄関はバラのアーチにしているので、ちょうど今が見頃。女性に目移りしていたら妻に叱られちゃうけど、バラだったら一緒に楽しめるでしょう。

 7人きょうだいの末っ子として愛知県宮崎村(現岡崎市)で生まれました。高校卒業後は名古屋市内で接客業をしていました。寮で一緒だった同僚が歌舞伎俳優の八代目市川雷蔵さんを紹介してくれたことがきっかけで、1964年に大映京都の第4期ニューフェイスの一人として芸能活動をスタートしました。雷蔵さんのほか、勝新太郎さんら二枚目スターが所属していましたから、僕も!と思っていましたが、大工の格好をした通行人など名もない役ばかり。雷蔵さんはそんな僕の面倒を見てくれて「俺の代わりに芝居見にいってきて」と、切符と飯を食って一杯飲めるくらいの小遣いをくれた。そうやって芝居を見る機会をもらって、撮影現場で同じ芝居を見ていた監督やスタッフと会話ができるようになりました。

 33、34歳の時に、友人のレストランでアルバイトをしていた妻と出会い一目ぼれ。36歳で結婚して、息子と娘が生まれ「俳優を仕事にしよう」と意識が変わりました。夢がないと言われるかもしれないけれど、多少イヤな仕事でも家族を養っていかなくてはいけないから。輝くメロンは諦めて、日本一の大根になろうって。

 一目置かれる大根として役者を続けて58年。映画の主役だけはやり残したことの一つでした。写真館の店主役を演じた初主演作「明日を綴る写真館」は、カメラが好きな僕に近い役。僕が生きて感じてきた経験も注げる。子供が生まれてから、愛用している一眼レフで再び家族やバラの写真を撮るようになりました。管理はスライドショーとかもできるタブレットが便利と教わったので、使う物も考えも時代に合わせてアップデートしています。

 宝物は「家族」。妻の誕生日とか、記念日には手紙に感謝の気持ちを書いて渡しています。財布の中には、写真館で撮影したモノクロ写真と、子供たちが小さかった頃に家族で海に出かけた時に僕が撮影したカラーの写真を入れています。それを見ると一緒に人生を歩んできたとしみじみします。お守りのように持っているので、浮気はできませんよ。

 ≪市川雷蔵さんと天国で再会したら報告したい≫写真館を営むカメラマン役で映画「明日を綴る写真館」(6月7日公開)に初主演=写真。もし役者の道を開いてくれた恩人の市川雷蔵さんとあの世で再会したら「“夢がかないました”と最初に報告したい」と言って笑った。一眼レフを構える姿がしっくりくるのは、自身の趣味がカメラでもあるからだ。共演したアイドルグループ「Aぇ!group」の佐野晶哉(22)にも「シャッターを切る時の極意」を伝授した。劇中同様に、現場では師弟のような関係だったそうだ。

 ◇平泉 成(ひらいずみ・せい)1944年(昭19)6月2日生まれ、愛知県出身の79歳。64年に大映京都が開いたオーディションで第4期ニューフェイスに選ばれ、66年の映画「酔いどれ博士」で「平泉征」の芸名でデビュー。84年に現在の名前に改名。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」、映画「シン・ゴジラ」など多彩に活躍。映画「天気の子」では声優も務めた。

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