【内田雅也の追球】「怒り」に希望を見る 100敗ペースまで落ちた阪神に必要な心

[ 2020年7月3日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-4中日 ( 2020年7月2日    ナゴヤD )

<中・神(3)>9回無死一、二塁、遊飛に倒れてバットを叩きつけて悔しがる近本(撮影・北條 貴史)
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 9回表、阪神最後の攻撃には闘志が見えた。いや、あれは怒りではなかったか。何に怒っていたのか。打てないのも、勝てないのも、誰が悪いわけでもない。自分なのだ。ふがいない自分へ、そして自分たちチームへの怒りが表に出たのだ。

 先発メンバーから外れた糸原健斗は粘って四球を奪い、福留孝介は151キロをはじき返した。笑顔なき代打2人の出塁には、まさに怒りがこもっていた。

 確かに、目指した「楽しむ」姿ではないかもしれない。しかし、これが本当の姿である。

 野村克也が<人間は窮地に追い込まれるほど本性が現れる>と書いている。その名も『弱者が勝者となるために――ノムダス』(ニッポン放送プロジェクト)という著書である。悔しく、情けなくてならないが、今や「弱者」と認めざるをえない自分たちに必要なことは何なのか。

 野村は「何くそ」という「憤怒の力」だと語っていた。つまり、怒りのパワーである。

 糸原、福留で2点差の無死一、二塁となった。同点の走者が出て、作戦は送りバント。近本光司はそのバントを続けてファウルで失敗し、最後はバスターで凡飛を打ち上げた。バットを投げつけんばかりに悔しがる姿に見えたのも怒りである。

 続く、上本博紀が低め変化球を拾った巧打が好守備にあい、併殺で試合は終わった。野村の先の書には<最後の打者となった時、本性が見える>とある。上本はこれ以上ないという力走も及ばず、両手をひざについた。あの怒りに似た無念さが本性ならば、阪神はまだ大丈夫である。

 敗戦後のベンチ。好機の凡打を繰り返したジェフリー・マルテと敗戦投手となったオネルキ・ガルシアが座り込んでいた。4番打者と先発投手は投打の敗因だが、彼らもまた自分への怒りを静めようと、肩をたたき合っていたのだろう。

 2勝10敗。120試合の10分の1だから、確かに100敗ペースだ。セ・リーグの借金はすべて抱え込む“1弱”状況である。どん底も極まったが、選手たちが発した怒りに希望を見たい。

 闘将と呼ばれた星野仙一もよく、怒りを反発力に換えていた。著書『改訂版 星野流』(世界文化社)で<ガックリするよりカッカする>と打ち明けている。<基本的に悔しがらんやつ、怒らんやつは絶対に駄目だ>と闘志の問題をあげている。

 <ガックリくると、やる気も何も、思考力すら一瞬になくしてしてしまう。(中略)一番恐ろしいのはガックリしてしまうことなので「ガックリするよりカッカしろ」と自分に対してはいつもそう思っている>。

 怒りを主張した野村や星野の下で選手としてつかえた現監督・矢野燿大は反骨心の塊だった。「暗黒時代」と呼ばれた野村阪神時代に捕手として鍛えられた。星野が来ると叱られ役となって奮起し、優勝の感激を味わった。野村、星野とスタイルは異なるが、矢野の反骨心もまた、怒りの力だと言えるだろう。

 監督も選手も、コーチもスタッフも、フロントも……チームにたまりにたまった怒りのマグマがいつか噴火し、反攻の時は来る。そう思える敗戦だったと記しておく。=敬称略=(編集委員)

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