【体操】平岡拓晃氏 内村から橋本へ「東京」でつないだバトン 選手に力を与えるレジェンドの存在

[ 2021年8月5日 06:30 ]

東京五輪第8日 トランポリン女子予選 ( 2021年7月30日    有明体操競技場 )

体操男子種目別鉄棒で金メダルを獲得し力強くガッツポーズする橋本(撮影・会津 智海)
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 【メダリストは見た 平岡拓晃氏】体操の種目別男子鉄棒で19歳の橋本大輝(順大)が優勝し、個人総合に続く2個目の金メダルを獲得した。内村航平(32=ジョイカル)というレジェンドの背中を追い、ともに戦って世界の頂点に立ったニッポン体操界の新エース。自身も五輪3連覇の野村忠宏氏の背中を追いかけた経験を持つ柔道の平岡拓晃氏(36)が、歴史的王位継承の瞬間を分析した。

 会場の空気感って、画面越しでも伝わってくるものですね。僕が最初に「おっ」と思ったのは、男子の鉄棒が行われる直前、女子の平均台で生まれた空気でした。今大会、精神的ストレスのために欠場が続いていたバイルス選手が出場して銅メダルを獲得しました。絶対女王にとっての結果はともかく、立ち上がった不屈の闘志のようなものが、続く鉄棒の選手たちに伝播(でんぱ)したように感じました。

 それが攻めの演技につながっていったのでしょう。「よし、俺も」と武者震いした経験は、僕にもあります。同じ試合会場で同じ所属の選手が頑張っているだけで、気合が入ったものです。鉄棒の前半戦、落下する選手が多かったのは、攻めに攻めた結果ではないでしょうか。そして、その空気を一変させたのはクロアチアのスルビッチ選手でした。

 ミスのない演技で高得点を出したとき、最終演技者の橋本選手にプレッシャーがかかると思いましたよね?でも、違ったんです。ミスの続いた会場の空気が引き締まったことで、橋本選手はより集中して演技できたと思います。そして、他の選手が攻めの気持ちを前面に出す中で、橋本選手だけは「自分の演技をすれば大丈夫」という確信を持っていたようにも感じました。会場の空気をも支配した雰囲気は、文字通りの王者の風格でした。

 体操ニッポンの王位継承を、五輪という大舞台で見られたことを幸せに思います。歴史の目撃者になれた、とでも言うのでしょうか。そして、若い橋本選手らを奮い立たせ、成長させたのは間違いなく内村航平選手の存在だったと思います。特に鉄棒の予選で落ちたあと「世界の体操界を引っ張っていける選手がそろっている。もういらないんじゃないかと思いながら見ていた」という言葉。あとは任せた。君たちならやれる。憧れたレジェンドにそんな言葉を掛けられたら、燃えないわけがないですよね?

 僕もレジェンドの背中を追いかけ続けた経験があります。同じ階級の野村忠宏先輩は五輪3連覇の生きる伝説でした。世界の頂点を目指す、というのはイメージの世界。目の前にいる野村先輩を超えれば、世界一になれるという現実がそこにあるというのは、本当に僕を成長させてくれたと思います。そして、北京五輪の代表選考で僕が選ばれたときに掛けてもらった「頑張れよ」の言葉は、今も忘れません。僕は五輪で敗れてしまいましたが、橋本選手は素晴らしい。余談かもしれませんが、野村先輩と一緒に五輪を戦うという経験ができなかった僕は、体操チームをうらやましくも思いました。

 大会前半、僕は柔道のテレビ解説として日本武道館にいました。心に残ったのは、選手に悲壮感がないことでした。勝っても負けても、お互いを称え合う。実は新型コロナウイルスが広まってしまった世界の特徴だったかもしれないと考えています。練習はもちろん、大会参加による実戦経験も不足したアスリートたちは、この舞台に立つまでの苦難を共有しているのだと思います。よく乗り越えてきた。私と戦ってくれてありがとう。そういう気持ちがあふれていて、すがすがしかったです。苦難を乗り越えたアスリートに、見ている人たちが少しでも共感できたり感動をもらえたりしたならば、それは大会の成果の一つと言ってもいいのではないでしょうか。

 ◇平岡 拓晃(ひらおか・ひろあき)1985年(昭60)2月6日生まれ、広島県出身の36歳。近大福山高―筑波大。6歳から柔道を始める。高校3年でインターハイ優勝。大学1年で学生日本一。大学卒業後は了徳寺学園に所属。08年北京五輪男子60キロ級代表となったが初戦となる2回戦で敗退。12年ロンドン五輪は銀メダル。筑波大大学院へ進学し、スポーツ医学博士号を取得。16年に現役引退。現在は筑波大助教。

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