矢沢永吉「10メートル先のタバコ屋にキャデラックで行って…」50年前の言葉振り返る

[ 2022年6月14日 05:00 ]

デビュー50周年 矢沢の金言(1)

デビュー50周年記念ツアーに向け「1日1日ベストを尽くしたい」という矢沢永吉
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 日本ロック史上最大のスター、矢沢永吉(72)が今年デビュー50周年を迎える中、その激動の人生を自ら残した数多くの語録で回想する大型連載「YAZAWA’S MAXIM 矢沢の金言」(毎週火曜日掲載)を14日からスタートさせます。今夏の記念ツアーまでの3カ月連載で、貴重な写真とともにYAZAWAがYAZAWAを振り返ります。第1回は伝説のバンド「キャロル」デビュー時に発したロック史に残る不朽の名言です。

 今からちょうど50年前。ロックバンド「キャロル」でデビューした時。あの頃のボクはいつも怒ってました。きっと怖かったんです。「どうしよう…オレ大丈夫かな、本当にできるのかな」って弱い自分が出てくる中、自分で自分をけしかけていたんですよ。それが全てのエネルギーだった気がします。

 それだけボクは怖がりだった。だから、なんでも物語にしちゃおうと。そうすればヤルしかなくなると思ったのかな。でも、それでよかったよね。そこまで描けるんだもん。

 確か「週刊平凡」だったかなあ。初めて取材を受けた時、オレもとうとう雑誌社から取材受けるようになったよって喜んだわけ。
 すると「矢沢クン?」ですよ、当時は。「矢沢君。芸能界で歌手になったけど、どのへんまで夢を見てますか?」って。あっ!いい質問するなって思って「10メートル先のタバコ屋にキャデラックで行って、ハイライトをピュッと買えるくらいの男になりたいです」。

 でも、いま考えてみると、インタビュアーの人、キョト~ンって顔してたね(笑い)。「何こいつ、ジョーク?」って思ったんじゃないの。こっちは「あれ、オレ変なこと言ったかな」って感じよ。

 僕は別にエエ格好したわけじゃない。たった10メートル先にキャデラックで行って「ハイライトちょうだい、おばちゃん!」って言えるところまで行きたいっていうのは、今じゃピンと来ない人もいると思うけど、50年前は「分かるよ~ッ」て人もいた時代。要はテッペンまで行きたいってことの、精いっぱいの表現だった。 

 だけど聞いた人は「何コイツ?」で。だってね、この時に「なんで歌手になろうと思ったの?」とも聞かれたから「おカネもうかるって聞いたんで」と言ったら、What’s?って(笑い)。そうか、カネって言ったからいけないのかと。じゃあ言い直そうと思って「音楽もすごい好きなんです」って言ったら、その人、プスッて笑ってたよ。
 
も、いま振り返るとシンプルだったね。「なんで歌手に?」と聞かれて「おカネもうかるって聞いたから」と言っちゃう。それを教えてくれたのはビートルズだった。ジョン・レノンの愛車ファントムV。黒のロールスロイスを全面イエローのサイケな花柄に塗り替えちゃった。俺なら絶対塗り替えないよ(笑い)。でもこの時、思ったね。人はこのくらいまで行かないといけないんだって。そうか面白い!ロックシンガーの世界は当たったら凄いぞ!って。

 そんな矢沢も72歳。あと7年ちょっとで80歳です。あとどれくらい歌えるか分かりません。でも、まずは7月2、3日にある「矢沢フェス」。そして50周年ツアーの開幕となる8月27、28日の国立競技場。50年前はいつ、つかめるか分からない夢を「タバコ屋にキャデラックで」と描いたけれど、今は一年一年、一日一日にベストを尽くす。それだけです。野外で雨降ったらどうするか、雨天決行ならそれができる体力を今からどう作るのか。10週間後、2日間で13万人以上のお客さんが待っています。さあ、どうやって迎え撃とうか。矢沢、いまからワクワクしています。(構成・阿部 公輔)

 ◇矢沢 永吉(やざわ・えいきち)1949年(昭24)9月14日生まれ、広島市出身の72歳。72年に「キャロル」結成。同年12月25日にシングル「ルイジアンナ」でデビュー。75年4月の日比谷野音公演で解散し、同年9月にソロデビュー。78年、著書「成りあがり」が100万部を超えるベストセラーになり、「時間よ止まれ」がミリオンヒット。同年の長者番付歌手部門でロックミュージシャンとして初の1位。81年に全米デビューし、97年にロンドンでロッド・スチュワートらと共演。日本武道館公演は史上最多の通算146回。来月2、3日に千葉・幕張メッセで矢沢主催のフェス「ONE NIGHT SHOW」を開催。50周年ツアーは8月27、28日に東京・国立競技場、9月18日に福岡PayPayドーム、同25日に大阪・京セラドームで。

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